内容説明
我々はどのように自らを「欲望する主体」として形成したのか。生殖、貞節、結婚といった概念についての初期キリスト教の教父たちの文献を詳細に検討し、厳格な規則を背景にした自己への省察と告白に基づく「欲望の解釈学」の成立を見る。性に関する言説の氾濫を起点として始まったフーコーの考察が、この最終巻でついに完結する。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
roughfractus02
7
知の言説から2つの規範(他者の内面化した道徳と自己への配慮)における権力へという前3巻の探究後、著者の死は草稿を収めた本巻を残した。自己への配慮がキリスト教的な他者規範の反省機構を強いる生権力から逃れる「新たな経験」に着目する著者は、自己への配慮の技法を純潔(童貞と処女)を修練と捉えたローマ期の文献を検討する。この「新しい経験」では、結婚は無意志とされる性的リビドーを他者への欲望と捉えて意志と対立させ、性を生殖の管理とはしない。婚姻者同士の意志の中の無意志として自己との関係に置く技法の契機とするのである。2024/12/01
ロータス
2
Ⅲまでを高校時代に読んでいたので完訳となったこちらを手に取ったが、翻訳者が違うためか非常に読みやすかった。/キリスト教以前に異教であるストア派に厳格な禁欲主義が発生し、それがキリスト教の教義に影響を与えたというのは興味深い。たしかにクレメンスを筆頭に聖書より厳しい禁止事項を掲げている。しかし結婚より童貞や処女を礼賛し、子づくりを目的としない性行為を不浄とする思想は理解しがたい。神への形式的懺悔(告白)、良心の自己監視システムによる苦行、等、それらが救いへの道だとしても、私にはそんな生き方は無価値に思える。2021/02/24
いたま
1
長らく未刊かつ未完の著作であった『性の歴史』の最終巻(とはいえ、遺稿の再編集なので著者の意図するものではないだろう)。第4巻に入り、全巻から着手していた古代世界の性倫理が、どのように初期のキリスト教に受け継がれ、発展していったかが丹念に説明される。大方の性的な禁止事項や規範はどの文化にもあるが、キリスト教の倫理がいかに夫婦を中心とする性を合理化し、近代の厳格な性規範につながるものを用意していったのかが明かされる。性に関する知識/技術の構築があったということでフーコーらしい筆致。遺稿とはいえ完結した著作。2023/10/30
ジャコ
0
読んだ。もう読んだ前には戻れない衝撃。2022/04/22