内容説明
人間は遺伝子に操られているのか?
宇宙開闢の時点で、その後の出来事は一通りに決まっていたか?
運命はあるのか?
人間と機械は何が違うのか?
こうした疑問はすべて人間の自由意志の問題であり、
デモクリトスからスピノザ、デネットまで、
決定論の哲学史に刻まれている。
ダーウィンや神経科学など自然科学的観点も検討しつつ、
決定論のこれまでとこれからを考える。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
43
哲学の問題だと思われている自由意志、しかし決定論は哲学にもあり、その場合は意志と責任が成り立たなくなる。とすると、決定論も自由意志も科学に委ねられるのか。この問題を古代哲学史から現代の科学史までを辿り、文理融合を試みています。広大な射程があり、何が論じられているのか見失います。何かが明快になるというよりも、全体を通じてこの問題設定の見方が変わることに発見を見出す本です。①近代哲学の決定論を運命論と区別して論じています。引かれると確かに全体の見通しが良くなる補助線で、スピノザの思想が明確化されます。②一転し2021/05/20
テツ
14
大抵の人は自身の今までの全てを自由意志で決定している(してきた)と信じている。でも本当にそうだろうか。自由意志の根底にあるあなたの内側の諸々はどう構築されてきたのか。もしも己が関与しない部分でそれが創り上げられたのだとしたら、その上に成り立っている自由意志だってまやかしに過ぎないじゃないか的なことは誰もが一度は考えるだろう。意思決定の自由を尊んだり、それに伴う自己責任に基本的には賛成なのだけれど、意志というものが本当はどのようなシステムなのかということについてすらわりとおぼろげだよなと再確認。2022/06/01
ケー
12
大学の必修で少しだけ学んでいた「決定論」。割と面白く学んでいた覚えがあるので、手に取る。きれいに哲学史としてまとまっていて、かつ最後の主張も一貫している。ただ、個人的には、哲学研究者がこの結論に至るのはどうなんだろうと少し思ったり。2021/06/23
やまやま
11
自分の意思と認識していることは、実は自分が自由に操れるものではないという科学的事実はモノをまじめに考える人ほどショッキングなことに受けとめられるであろうが、生きた人間の複雑な動きに比べ、認識できることはごくわずかであるという立場に立てば極々自然な流れである。それを自然主義という表現でまとめている。因果的決定論(ほぼ自然主義と同じと言えるでしょうか?)と運命論との違いは、後者は因果律を設定できる存在が(主体のかかわりの外に)あるのだ、と考えていると理解しましたが、正確に議論を把握できておらず大変恐縮です。2021/07/21
hakootoko
8
現代哲学で論争になっている「決定論と自由」。現代のことは冒頭にコンパクトにまとめ、テーマに沿って、哲学史を振り返る。哲学史から定跡が見えてくる。例えば、「原子の逸れ」によってストア派の目的論的自然観に反論するエピクロスに量子力学を利用する現代の哲学的リバタリアンと似た手が見出される。ダーウィンの自然選択やドーキンスの利己的な遺伝子の意義もわかる。決定論に不安を抱くのは、運命論が混入しているから。たしかに因果に決定されるが、何ものかが主体的に決めたのではないのだ。スピノザやカントが気になる人は8章の注から。2021/03/26
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