ちくま新書<br> 避けられた戦争 ──一九二〇年代・日本の選択

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ちくま新書
避けられた戦争 ──一九二〇年代・日本の選択

  • 著者名:油井大三郎【著】
  • 価格 ¥880(本体¥800)
  • 筑摩書房(2020/06発売)
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  • ISBN:9784480073211

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内容説明

1920年代の日本は、国際連盟の常任理事国に選ばれ、不戦条約にも調印し国際平和をリードする大国として世界の期待を集めていた。だが、30年代になると日本は一転して国際協調を捨て、戦争への道を歩んでいく。当時、戦争を避ける選択はありえなかったのだろうか。日米関係を中心に長年研究を積み重ねてきた碩学が、その最新の知見を、従来の日本近代史の豊富な実証研究の蓄積へと接合。20年代日本にとって本当は存在していた「戦争を避ける道」の可能性を掘り起こす。

目次

プロローグ
転機はいつか?
マクマリー説の波紋
ポスト冷戦下の新しい研究動向
歴史教科書におけるギャップ
学術書と一般書のギャップ
オルターナティヴの歴史研究と史実
本書のアプローチ
第一章 ヴェルサイユ会議と日本
1 第一次世界大戦の講和構想をめぐる対抗
膨大な犠牲者を生んだ第一次世界大戦
ロシア革命政府の「平和に関する布告」
ウィルソン大統領の「一四カ条」
2 ヴェルサイユ講和会議の召集
第一次世界大戦の終結
ヴェルサイユ講和会議の始まり
日本代表団の準備
日本の対華二一カ条要求と米国の反発
米国と中国の参戦
ヴェルサイユ講和会議における山東問題
人種平等条項の否決
新外交と旧外交の並存
3 日本社会の反響
国際連盟協会の発足
近衛文麿の「新外交」批判
講和会議参加後の近衛文麿の変化
民族派の台頭と「新外交」批判
北一輝のヴェルサイユ体制論
『日本改造法案大綱』の影響
日米開戦論のベストセラー化
日米開戦論登場の意味
日露戦後の米国における対日開戦論の登場
第一次世界大戦後の米国における日米開戦論
4 日米両軍による戦争計画の実相
米軍の対日戦争計画
「オレンジ・プラン」の特徴
一九〇七年の帝国国防方針
一九一八年の国防方針改定
関東都督府の改組
第二章 ワシントン会議と日本
1 米国における共和党政権の誕生とワシントン会議の提起
ヴェルサイユ条約否決の衝撃
戦争違法化運動の始まり
ワシントン会議の提案
日本のワシントン会議にむけた準備
2 ワシントン会議での対立と合意
海軍軍縮問題
日英同盟の解消
中国における門戸開放原則と既得権益
山東問題の処理
対華二一カ条要求関連条約をめぐる対立
3 米国はなぜ「門戸開放」にこだわったのか
門戸開放政策の英国起源
米西戦争と「反帝国主義論争」
二種類の門戸開放政策
門戸開放政策と満州
ドル外交と中国
米国による「勢力圏分割」外交
4 ワシントン会議に対する日本社会の反応
徳富蘇峰の反発
大川周明の批判
幣原喜重郎の反論
渋沢栄一の軍縮賛成論
石橋湛山の小日本主義
5 日本における軍部権限抑制論の台頭
大正デモクラシーと軍部抑制の模索
第一次世界大戦後の軍縮ムードの高まり
軍令と軍政の構造的矛盾
吉野作造の帷幄上奏批判
6 ワシントン条約に対する日本軍部の反応
海軍軍縮条約をめぐる海軍内部の対立
日本陸軍の軍縮対応
一九二三(大正一二)年の国防方針改定
ワシントン体制は存在したのか?
第三章 米国の日系移民排斥と反米感情の噴出
1 一九二四年移民法の成立
米国における日系移民
ヨーロッパにおける黄禍論の台頭
米国流の黄禍論
米国西海岸での排斥法の制定
一九二四年移民法と東南欧系移民差別
一九二四年移民法と日系移民
2 一九二四年の米国移民法に対する日本社会の反発
日本における抗議の動き
上杉慎吉の日米必戦論
徳富蘇峰の怒りと自制
アジア主義の起源
黄禍論を批判する白禍論
欧米協調とアジア主義の間
第一次世界大戦後の大アジア主義
一九二四年移民法への反発
樋口麗陽の対米戦争自制論
孫文の「大アジア主義」講演の含意
3 国際協調派の苦悩
幣原外交と日系移民排斥
国際派知識人の反発
鶴見祐輔の米国講演
浮田和民の日米非戦論
一九二〇年代の日米関係
米国政府関係者の憂慮
第四章 中国の国権回復と米英ソ日の対応
1 中国の政権分立と国権回復運動の始まり
辛亥革命後の中国と政権分立
中国共産党の結成と第一次国共合作
北伐の開始と国民政府による全国統一
第一次世界大戦参戦と国権回復
ロシア革命と旧ロシア利権の返還
修約外交と革命外交の並走
ワシントン条約と国権回復
2 米英の帝国縮小戦略への転換
五・三〇上海事件の発生
新任公使マクマリーの主張
米国宣教師団の警告
北京関税特別会議の開催
英貨ボイコットの激化と英国の政策転換
ポーター決議案とケロッグ声明
南京事件の発生
中米新通商条約の調印
マクマリー覚書の発見
マクマリー覚書の意味
3 第一次幣原外交と中国の国権回復運動
護憲三派内閣の成立と幣原喜重郎の外相就任
中国の軍閥戦争と幣原外交
郭松齢事件と関東軍
上海での五・三〇事件と日本
北京特別関税会議と日本
南京事件と幣原の不干渉政策
幣原の弁明
武力不介入の意図
不介入政策と第一次若槻内閣の崩壊
第一次幣原外交の功罪
4 中国の国民革命と日本社会の反応
日本人の中国国民革命イメージ
大アジア主義者のディレンマ
北一輝と中国の国権回復運動
大川周明の場合
日本陸軍の「支那通」とは?
中国軍閥との癒着
国民党通は例外的
石橋湛山の満蒙特殊権益の放棄論
吉野作造の「対支膺懲」反対論
国民政府承認の提案
第五章 山東出兵と張作霖爆殺事件
1 田中義一内閣の成立
陸軍エリート田中義一
田中の対中国政策
在郷軍人会の創設
愛国団体の中核としての在郷軍人会
政治家としての田中義一
森恪の登場
政友会の若槻内閣批判
幣原外交批判
田中義一内閣の顔ぶれ
2 田中外交と対中国政策
第一次山東出兵
東方会議の開催
「対支政策綱領」の意味
「田中上奏文」の真相
「対支政策綱領」の日本と英米の溝
田中義一と皜介石の非公式会談
平行線に終わった会談
3 済南事件と中国の「排日」運動激化
第二・三次山東出兵と済南事件
済南事件の影響
済南事件の事後処理
日貨ボイコット運動の激化
幣原喜重郎の田中外交批判
吉野作造の山東出兵批判
男子普通選挙と天皇の政治利用の強まり
無産政党の対支非干渉運動
不戦条約の成立
4 張作霖爆殺事件と田中内閣の総辞職
北伐軍の北京入城と田中政権
石原莞爾の満蒙領有論
河本大作の張作霖排除論
陸軍内世代対立の深刻化
張作霖爆殺事件の勃発
田中首相の反応
元老、西園寺公望の見解
陸軍の抵抗
昭和天皇の叱責
張作霖爆殺事件処理の否定的影響
満州事変への連続性
張作霖爆殺事件の反響
張作霖爆殺事件の教訓
石橋湛山の満蒙特殊利権論への批判
吉野作造の国民政府承認論
第六章 ロンドン海軍軍縮条約から満州事変へ
1 浜口雄幸内閣の成立
浜口雄幸とは
浜口内閣の特徴
2 ロンドン海軍軍縮会議と統帥権論争
ロンドン海軍軍縮会議の開催
条約批准をめぐる統帥権干犯論争
昭和天皇とロンドン海軍軍縮条約
議会での批准審議
主要新聞の動向
美濃部達吉の文民統制論
政党政治の危機
浜口首相に対するテロ
大川周明のロンドン海軍軍縮条約批判
池崎忠孝の『米国怖るるに足らず』
北一輝の対米戦回避の勧め
宇垣陸相の日米対立緩和論
浜口首相の最後
三月事件の発覚
青年将校層の「昭和維新」志向
軍部独裁体制論の矛盾
3 第二次幣原外交と中国
第二次若槻内閣の誕生
幣原外交と中国の統一
東支鉄道問題と中ソ戦争
中国の関税自主権承認
満州での対立激化
松岡洋右の「満蒙は日本の生命線」論
中村大尉事件と万宝山事件
森恪の満州視察
4 満州事変とリットン調査団
柳条湖事件の勃発
若槻内閣の不拡大方針
関東軍の満州全域占領と中国の国際連盟提訴
一〇月事件と国際連盟の調査決定
若槻内閣の崩壊と犬養政友会内閣の発足
スティムソンの幣原外交への期待
スティムソン声明の発表
犬養内閣の構成と対中構想
上海事変の勃発
血盟団事件と五・一五事件
リットン調査団報告の作成過程
リットン調査団報告の内容
日本の国際連盟脱退
エピローグ──戦争を避ける道はあった
1 戦争を避ける二回のチャンス
日本が戦争を避けるポイントは?
中国の関税自主権の承認
在留邦人の安全確保
在中利権の一部返還
民主政治の未成熟
軍部に対する文民統制の強化
「新外交」時代認識の普及
戦争体験の受け止め方の差
2 現在の歴史認識への教訓
植民地支配の反省欠如
アジア太平洋戦争の原因説明
主体的反省の欠如
一般的反省の歴史認識への適用
日中の歴史対話の接点
日韓歴史和解の困難さ
「脱植民地化」の歴史認識の芽生え
韓国における「東アジア史」の開発
「脱近代」的歴史認識の推進
あとがき
文献リスト・図版出典

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

樋口佳之

35
在中邦人の保護措置と並行して、中国の国権回復運動に一定の譲歩を行うことによって、中国の排日運動を緩和させ、満州利権の一部を中国との交渉で確保する可能性はあった…英国が、漢口や九江の返還に応じて、香港を確保したように。そうすれば、関東軍による暴走は事前に抑止できた/米英が中国で「帝国縮小戦略」に転換したのも、中国側が激しく「新外交」の実施を要求したことに応えざるをえなかった結果/第一次世界大戦後の世界が、「旧外交」から「新外交」への転換期にあったという世界史認識は、…現在の日本でも十分深められていない2020/08/07

Porco

16
1920年代の日本の外交が整理されて述べられていて、わかりやすい。日本国内の政治を追うのと外交を追うのとでは、戦争を避けられたと思われるポイントが違うのですね。2021/12/18

あまみ

11
いろいろ資料、論説から導き出している。本書の題名「避けられた…」にはたどり着いたか?戦前の日本での事象はおそらく客観的に取り上げている。それに比して米英中のそれが少ない。著者の専門は日米関係史、国際関係史なのだから出せるとは思う。日本だけが何かをする、しないかだけ指摘しても避けられないだろう。エピローグで避けるチャンスはあったと述べている。そして突然、2015年の安部談話を批判しているのは奇異に思った。さらに本文でほとんど出ていなかった韓国を持ち上げている。これが著者の書きたいことだったのかと勘繰る。2021/12/12

Hiroo Shimoda

9
歴史のifがあり得たかの検証。大戦は避けられたのかもしれない。原因の一つは国民のプライドと感じた。日露戦争で得た自信、白人優位への反発、中国への上から目線。では今の日本人はどうだろうか?2021/02/15

spanasu

5
第一次世界大戦後の世界は旧外交と新外交の転換期にあったとし、その画期に日本が乗り遅れたとする。日本部分は他の研究に依拠しているため、移民関係や米国の将来の日米戦争予想は私が詳しくないのもあるが興味深く、どうせなら専門のアメリカにもっと重点を置いてほしかった。中国の国権回収運動に応じ、在外邦人保護にも対応していれば、イギリスの香港のようにある程度は権益を保護しつつ戦争は避けられたのではないかという主張だが、なぜできなかったのかには曖昧なままであり、そこが研究点であろう。2020/08/19

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