講談社学術文庫<br> 世阿弥

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講談社学術文庫
世阿弥

  • ISBN:9784065181362

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内容説明

現存する最古の演劇といわれる、能楽。
今から約600年前の室町時代に、世阿弥(1363~1443?)は、当時の大衆芸能を芸術へと昇華させ、『井筒』『高砂』『砧』『実盛』『葵上』など今も上演される名作を遺し、『風姿花伝』を始めとする世界初の演劇論を執筆しました。
これほどまでの偉業をなしえたにもかかわらず、肖像画の1枚もない。
世阿弥とは、一体どんな人物だったのでしょうか? なぜこの時期に、これほどまでの仕事をなしえたのか――。
その時代背景や彼の思想哲学を、父・観阿弥や、禅竹、金剛などライバル達との作品比較、伝書から見る芸論などから細やかに考察。
晩年、大衆に拒絶され、自身も佐渡に流された世阿弥の生涯も辿りながら、彼が求めた「老いの美学」についても検証します。

本書は『世阿弥』(1972年 中公新書)より、舞台写真、資料写真を新たに差し替え、解説を加筆、文庫化したものです。

解説「異端者としての世阿弥」 土屋恵一郎(明治大学長)

目次

はじめに
第一章 世阿弥とその時代
一 猿楽能の誕生
寄合――観客層の拡大 物まね芸の系譜 歌舞の伝統
二 父・観阿弥
猿楽能と田楽能 天下の名望 「中初・上中・下後」の人
三 世阿弥の活躍――応永まで
生年論 同朋衆・時衆の問題 伊賀観世の系図 少年世阿弥 世阿弥と二条良基 将軍義満と世阿弥 世阿弥の再出発 北山邸行幸と義満の死 第一次苦境時代 寺社猿楽への後退 音阿弥の生長 応永末年の世阿弥
第二章 世阿弥の作品
一 能の作者
能の作者 世阿弥の作品 能の分類 世阿弥の作品傾向
二 大和猿楽の伝統――劇的現在能
大和猿楽の特質 観阿弥の代表作<自然居士> 観阿弥の作品傾向 群小作家の作風 大衆作家宮増 世阿弥と劇的能
三 能の神々――脇能
脇能と歌舞性 <高砂>と<竹生島> 神の影向 先行芸能延年風流 小風流と脇能 大風流と脇能 世阿弥の脇能 非世阿弥系作者の脇能 神は鬼がかり 世阿弥の脇能改革
四 『平家物語』と能――修羅物
修羅物と世阿弥 複式夢幻能 脇能と修羅物 古修羅の世界 花鳥風月と修羅 憑き物による物狂と修羅 “金剛”の作品 『平家物語』の二つの側面
五 王朝古典の世界――女体能をめぐって
王朝女性の能への登場 憑き物と女性 物狂から複式夢幻能へ――<松風> 物着と複式夢幻能――<井筒> その他の複式夢幻能――<融><須磨源氏>等 女体能の行方 <砧>の位置づけ――準夢幻能

第三章 世阿弥の芸論
一 世阿弥の伝書
世阿弥の伝書 伝書の時代区分 前後二区分説
二 『風姿花伝』
『風姿花伝』のあらまし 一、年来稽古 二、物学条々 三、問答条々 『花伝』四~六 別紙口伝
三 『花習』以後
『花習』以後の代表作 物まねから三体へ 花から幽玄へ 安定→蘭位→妙所

第四章 世阿弥の流れ
一 晩年の世阿弥
能役者としての世阿弥 第二次苦境時代 十二五郎の手紙 一座の危機 次男元能の出家 長男元雅の客死 「却来」という境地 佐渡配流 佐渡よりの書状 金春禅竹と鬼の能 最晩年
二 能の流れ
観世小次郎の活躍 キリシタン能と太閤能 世阿弥の影 能の固定化

世阿弥年譜
参考文献
あとがき
解説「異端者としての世阿弥」土屋恵一郎(明治大学長)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

nishiyan

13
1972年7月に中公新書から刊行されたものを文庫化に際して舞台写真と写真資料を新たに差し替え、解説を加筆した世阿弥の評伝。現在の能の原型である猿楽の歴史を振り返ることから始まり、観阿弥、宮増、観世小次郎を軸に主流であった能と世阿弥が大成した「能」を比較検討し、いかに世阿弥が本流から外れた創作をしていたのかを明らかにした点は興味深い。大衆芸能であった世阿弥以前の能が大衆から離れ、伝統芸能へと脱皮したことで現在にもその芸は残っている。古い著作だが、こうした指摘があったことを忘れてはいけないだろう。良書。2020/02/02

ちあき120809

2
大衆の娯楽であった能を芸術の域にまで昇華させた世阿弥の功績と、その代償としての異端性故の孤独が対比的で心に残る。有名な言葉を一曲の眼目となるところに集中させるという演出は、なるほど能と歌物語との親和性を感じさせ、現在の映像作品の演出にも繋がるように思う。「中初・上中・下後」も、そして恐らく世阿弥が残した最も有名な言葉であろう「初心忘るべからず」も、何事においても、慣れが出て、ともすれば尊大な態度をとってしまいそうになった時、思い出したい言葉である。2020/02/22

全力背走

0
4/5 世阿弥が晩年不遇だったのは、彼の能が大衆演劇から遠ざかっていったからではないかと説明している。道を究めて後ろを振り返ったら続く者がいなかったという。能イコール世阿弥になるのは江戸時代に入ってからで、時代が追いつくのに200年を要したとも言えようか。2024/01/22

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