内容説明
広島の悲劇は過去のものではない。一九六三年夏、現地を訪れた著者の見たものは、十数年後のある日突如として死の宣告をうける被爆者たちの“悲惨と威厳”に満ちた姿であり医師たちの献身であった。著者と広島とのかかわりは深まり、その報告は人々の胸を打つ。平和の思想の人間的基盤を明らかにし、現代という時代に対決する告発の書。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
385
プロローグに続いて本編は1963年夏、第9回原水禁世界大会に始まる。日共系と総評、社会党系とが分裂することになった大会である。被爆後、沈黙を強いられてきた被爆者たちが初めて声を発することができるようになったのが、1955年の第1回大会が開催されることにおいてである。「苦しんでいるのは自分たちだけでない」という発見は、「被爆者に人間的な自己恢復の契機を与え、同時に日本と世界の平和運動家たちの志にひとつの方向をあたえるもの」であったと大江は意味づける。その大会の分裂は、被爆者と原水禁運動にとって、明らかに⇒2023/05/22
遥かなる想い
111
当時の推薦図書に必ずあげられていたので、少し緊張しながら、購入し読んだ。なぜ緊張したのかよくわからないが、他の小説のように難解で理解不能だったら、恥ずかしいという感情があったのだと思う。理解不能ではという予想は杞憂に終わり、素直に読めた。広島の悲劇は今にも繋がり、大江健三郎の丹念な記述は素直に心に入る。2010/06/19
ゆいまある
92
大江健三郎が育った愛媛県内子町と広島の爆心地はおよそ170kmの距離である。彼にとってこの地で起きたことは他人事では済まされなかっただろう。1963年に初めて広島を訪れた時、大江には保育器から出られぬ子供がいた。彼の何かが広島に共鳴し、救済を求めた。聞き込み、書き上げたエッセイ。自らも被爆しながら助からない患者の治療に当たった医師たちに多くの頁が割かれており、私もまた共鳴する。そして原爆症を恐れ自死した人々。原爆は戦争を終わらせたかもしれない。だが被爆者にとってはそこからが戦争の始まりだった。【KU】2025/08/06
esop
75
広島の人間は死に直面するまで沈黙したがるのです。自分の生と死を自分のものにしたい/いつもアメリカのご機嫌をとっていて人間の問題を放置している/被爆者が、その死亡者と生存者とを含めて心から願うことはその原爆の威力についてではなくその被災の人間的悲惨について世界中の人に周知徹底させることである/それでもなお自殺しない人びとの存在に深く根源的で徹底して人間的なモラルの感覚を見出しては勇気を恢復するものである/あの日の惨禍を繰り返してはならないと誓い人類の平和の歴史をきずくためのとうとい史跡としなければならない2024/10/17
とくけんちょ
58
本書が書かれたのが、被爆20年後。この時、原爆は、被爆は、まだ過去の歴史の話ではない。原爆症、被爆による影響もよくわかっていなかった。20年経っても、原爆に殺される。これは、大さつりくだろ。この時、アメリカの軍人に勲章を送っている。現在においても、原爆の死者数はよくわかっていない。読んでよかった。2021/07/10
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