内容説明
「誉れの子」「靖国の遺児」と呼ばれた戦没日本兵の子どもたち。戦時下にあって、毎年五千人を超える彼らが、全国各地から靖国神社に参集したという「社頭の対面」。この一大行事を通して、国家は何を意図し、どのような効果を及ぼそうとしたのか。肉親の死を、国家への絶対的忠誠へと転化し、さらに戦意昂揚の一翼を担わされていくという、子どもたちが負った過酷な戦争の一断面を、豊富な一次資料と証言を通して明らかにする。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
おかむら
30
昭和13年から18年まで、全国から戦争遺児を集めて靖国神社に集団参拝させる国家的プロジェクトが行われてた。一死報国、名誉の戦死者を出した家は「誉れの家」と呼ばれその子どもたちをいかに国民の戦意高揚に利用したかを当時の文献から検証。「お父さん、よく戦死をしてくださいました」とまで作文に書かせられる当時の雰囲気が怖い。東條英機が子どもたちと一緒に写ってる写真も怖い。ちょっとヒトラーユーゲントのよう。2019/08/25
棕櫚木庵
23
「誉れの子」とは,第2次大戦中に父親が戦死した子.遺児の靖国神社団体参拝が「社頭の対面」と称して1939年から始まった.それらについて,当時の記録,特に,「誉れの子」の文集などによって叙述した書.「社頭の対面」参加者は国民学校5,6年生.「感激性強く而も指導者の指導を無批判に受け入れる年配を選んだ」(軍人支援会援護部長,1943.本書, p.143)と.父親の死によってもたらされる強い感情を「誉れ」と受け止めさせ,国家への忠誠と戦争協力へと導く.靖国神社を通じて大人になされていたことの少年版そのもの.2020/01/19
hitotak
9
父親の戦死による遺児を「誉れの子」と呼び、哀しみに耐えて母親を手伝い、兄弟の面倒を見る健気さを当時の報道は戦意高揚に利用する為大いに喧伝した。遺児たちを靖国神社に参拝させ、皇族や陸軍大将とも対面する。子供たちは神社の神域に入り、宗教体験で「確かにお父さんと会えました」とトランス状態に。指導者の言う事を無批判に受け入れる年代の遺児を特に選び、忠誠心を植え付ける計算もあったという。靖国での感激に雑念を混ぜないため、参拝前後の東京見物も禁止されたというから徹底している。子供達をも戦争に利用する怖さが書かれる。2020/03/24
onepei
4
「美談」が人を苦しめる2019/09/25
星辺気楽
3
父親を殺されても政権から「誉れの子」と煽てられ、敵愾心を募らせて行った悲しい軍国少年、少女たちの記録。2019/10/03
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