内容説明
天皇家を支えた貴族層のうち、大臣らトップクラスを公卿という。律令制の導入以降、国政の重要案件については、公卿たちが集まり、会議を行って方針を決めた。現在の内閣の閣議に相当する。藤原道長の頃に定まった宮廷政治のあり方は、院政の成立、承久の乱、建武の新政などを画期として変化を遂げながらも、南北朝時代まで続いた。貴族の政務の実態を解説し、日本の合意形成プロセスの原型というべき公卿会議の変遷をたどる。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
みこ
21
政治家として平安貴族たちがどんな活動をしていたのかを資料を基に解説してくれる。というか、これだけ克明な資料が残っているのに彼らの実態に触れる書籍にこれまで出くわさなかったのはどういうわけか。藤原道長が世襲ではなく同属の争いを経て権勢を築いていたのは知っていたが、なぜ関白にならなかったのかは本書で丁寧に解説してくれる。決して雅なだけでなく結構したたかだったのね。院政確立の過程も非常に興味深かった。後三条天皇誕生で一気に藤原氏の勢いが衰えたのではなく紆余曲折があったとは。2018/11/18
南北
20
10世紀頃以降の公卿たちの会議の変遷を書いた本です。平安時代は貴族の叙位や除目、国司の人事考課などを決めていたのが、やがて院政期にはいわゆる治天の君が人事を決めるようになり、やがて土地の所有権をめぐる争いの結審も行うようになってくる展開は興味深く感じました。14世紀頃の足利義満の時代に公卿たちは義満に仕えるようになり、公卿会議は形骸化していきます。数百年にわたって、話し合いで物事を決めようとしてきた公卿会議については再認識する必要があると感じました。 2018/12/31
Toska
19
平安貴族の政治参加については今ひとつ具体的なイメージが持てないのだが、そのギャップをかなりの程度まで埋めてくれる。ただし、副題から想像されるほど盛んに論戦している風でもない。著者自身、公卿会議が天皇大権の抑制ではなく補翼を目的とした存在であることを認めており、その時々の権力者(摂関や院など)に敢然と異を唱えられるものではなかった。寧ろ、にも拘わらず合議の体裁自体は必要とされた事実に興味が湧く。2024/10/15
俊介
19
平安貴族というと、詩歌管弦などの遊びに耽ってダラダラ過ごしてたイメージだったが、ちゃんと実務もこなしてたようだ。国を治めてたのだから当然か。国を治めるためには意思決定が必要。その意思決定は天皇や上皇1人の思いつきで行われたわけでは決してなく、一応ちゃんと会議が開かれていた。本書はそれらの会議がどのようなシステムで運営されていたか、丹念に分析した労作だ。武士が実権を握った中世に入っても、貴族も権力の一部は担ってたので会議は開かれ続けたが、それが徐々に骨抜きにされていく様子が、会議のあり方に表れるので面白い。2021/07/26
Tomoichi
17
藤原道長の時代から後醍醐天皇の時代にかけての公卿会議の変遷を解説。政策意思決定機関でもあるので当然人事権がポイントになる。それは時代もイデオロギーも国も関係なく当然である。当然ですが登場人物は藤原にそれから派生した西園寺や近衛、公家平氏に村上源氏・河内源氏。親子に親戚だけに名前が混乱します。2021/10/17
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