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内容説明
論語はすなわち儒教のことである――日本人の多くにとっての「常識」であろう。ところが、実はそうではない。子供のころ、祖父の摩訶不思議な「教え」から『論語』に接した著者は、のちに儒教の持つ残酷な側面を知り、強い葛藤を抱く。実際の孔子は「聖人」であったのか? なぜ『論語』は絶対に読むべきなのか? 御用教学・儒教の成立と悪用される孔子、朱子学の誕生と儒教原理主義の悲劇など、中国思想史の分析を重ねた果てに著者がたどり着いた答えは、なんと「論語は儒教ではない」というものだった。曇りのない目で孔子の言葉に触れ、『論語』を人生に生かすための画期的な書。 【目次】●序章 私の『論語』体験と、私が見た「儒教の残酷さ」 ●第1章 定説や通念を覆す──孔子とは何者か、『論語』とは何か ●第2章 御用教学・儒教の成立と悪用される孔子 ●第3章 朱子学の誕生と儒教原理主義の悲劇 ●第4章 朱子学を捨て、『論語』に「愛」を求めた日
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
南北
50
儒教と孔子の思想は全く別物であると著者は指摘する。儒教は前漢の時代に皇帝の中央集権体制を確立するために作られたもので、その後、明や清の時代には毎年何万人もの未亡人に自殺を強要する「礼教殺人」が行われるようになった。一方、日本では江戸時代以降、朱子学が官学となったものの、伊藤仁斎をはじめとする儒学者が論語本来の思想を明らかにすることでその影響をある程度抑えることに成功している。導入部分の著者と論語との出会いの話は文化大革命当時の中国の様子が垣間見えたし、現在の中国も儒教が共産主義に変わっただけだと感じた。2021/07/15
さきん
35
日本は儒教を結局は取り入れることがなかったが、儒教のオリジナルとして設定されている論語は意味まで深く理解されて、取り込まれている。儒教≠論語であることを著者の経験も含めて語る。論語読みの論語知らずにならないようにしたい。2019/04/27
ミッキー・ダック
32
著者は、論語と孔子を始祖とした儒教は全く別のものと説く。論語は人生・処世等の指南書だが、朱子学と礼教を含めた儒教は、政治権力の正当化と人間性の抑圧を本領とする悪の教学であり、前漢から南宋、元から清の時代の中国を、そして李朝朝鮮を支配した。日本でも家康が朱子学を受け入れたが、礼教は一顧だにされず、伊藤仁斎らの功績もあってやがて朱子学は捨てられ、論語だけが根付いた。そこから日本と中韓との道徳格差が生まれたのだという。◆儒教・朱子学の歴史を丁寧に辿り論語との関係を明らかにしているので、大変勉強になった。 2019/11/01
ゆきこ
28
儒教の始祖とされる孔子とその言行録『論語』についてと、その後成立していった儒教についてを論じた一冊。中国思想史のにわか知識しか持っていなかったため、知ることが多くとても勉強になりました。たしかに『論語』と儒教はまったくの別物のように感じます。今後もっと詳しく勉強したいと思いました。2019/05/17
hk
25
「徳を好むもの、色を好むが如くするものを見ざるなり」 論語で最も印象深い一節。ざっくり訳せば「政治に携わるものが、エッチを楽しむよう一心不乱に励んでいるのを見たことがないんや」ってとこ。論語が長年の風雪に耐え現代でも人気を博しているのは、下世話であり一貫性がなく、それが逆に現実的で人間味を醸し出しているからというのがオイラの見立てだ。矛盾や相克というのが人間の本質だからねー。 本書はこの「論語」と、論語と一絡げに語られがちな「儒教」の齟齬を解説している。四書五経と論語そして孟子の関係などが整理できた。2019/06/05