内容説明
千利休は、自身の美学を貫き秀吉の怒りに触れて切腹したとされてきた。しかし、事実は異なる。実際は、追放され晩年を九州(現在の福岡~大分)で過ごした。なぜ、切腹を免れたのか?秀吉と利休の知られざる関係とは? 新史料をもとに迫る。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Takanori Murai
33
利休の茶は「わび茶」ではなかった。利休は切腹しなかった。通説を一次史料から否定。ただしそれを肯定するのに十分な史料もない。謎は謎のままだが、切腹していなかったとすれば誰が切腹説を作りあげたのか。興味深いところであり、本書で語られた説であれ、他の人物の思惑があったにせよ、その辺をついた小説を読みたいものだ。利休にまつわる小説を2作読む予定なのだが、さてどうなっているだろう。2020/04/08
寝落ち6段
10
通説である「利休は切腹した」を否定する本書。一次史料の武士や貴族の日記のどこにも、利休が切腹した事実を書いたものがない。しかもその後に秀吉などの書状に利休がまだ生きているような書き方をしたものが多数ある。著者は「利休は追放された」という立場をとる。その方がしっくりくると思える。ただ、追放の場合でもその理由は想像に任せたところが大きく説得力に欠けると思う。更に「わび茶」すらも大商人である利休は行ったのか、疑問の余地があると言う。どこかで真実が捻じ曲がっても、利休の茶が後世に及ぼしている影響は間違いない。2020/09/06
フク
9
図書館★★★☆☆ へうげもの関連 * 〈芸術が専門家の範疇であったのに対して、文化はその時代を生きた人々が育むものでした。〉初めて明確な言葉として両者の相違を認識した。と思ったが、日本のゆるカワ美術品は文化になってしまうのか?2019/04/14
スプリント
6
千利休は切腹せず生き延びていたという大胆な仮説を史料をもとに裏付けをしていく内容です。2019/06/30
乱読家 護る会支持!
5
戦国武将を相手に豪商である千利休が、本当にワビサビの茶の湯を行ったのか? 武士でない千利休が、本当に切腹したのか? 先日、堺のまち歩きイベントに参加しました。堺の町は大阪の陣で、「跡形もなく焼け落ちた」そうです。「跡形もなく焼け落ちた」堺なのに、なぜ千利休の屋敷跡あるのか、、、 とても不思議ですが、それは堺の人達の関東風に言うと「イキ」な計いのようです。 全てが灰になった堺の町で生まれ育った千利休の茶の湯ですから、茶の湯の後継者達はあれこれと想像する(場合により創造)するしかなったのでは、、、と思います。2021/09/26