内容説明
現代の政治状況を表現するときに用いられる「ポピュリズム」。だが、それが劇場型大衆動員政治を意味するのであれば、日本はすでに戦前期に経験があった。日露戦争後の日比谷焼き打ち事件に始まり、怪写真事件、満洲事変、五・一五事件、天皇機関説問題、近衛文麿の登場、そして日米開戦。普通選挙と二大政党制は、なぜ政党政治の崩壊と、戦争という破滅に至ったのか。現代への教訓を歴史に学ぶ。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
六点
134
岸田首相の暗殺未遂事件当日に読み終えたので、憂鬱さも一入である。政党政治と普通選挙を手にした国民が、マスコミとともに、政党の腐敗や財界との癒着などに怒りを燃やし、最終的には近衛新体制に雪崩込み、日米戦争不可避となり、この本は閉じられる。5・15事件の犯人擁護が、まるで安倍首相暗殺事件に湧いた界隈を彷彿とさせ、暗然とした思いに囚われたことであるよ。まぁ、実行犯は出獄後、茨城県議会の議長にまで成り仰せているわけであるから、戦後に至っても同じような社会であるのと、得心が行くことであったことだよ。2023/04/15
HANA
59
「新聞はこの次の一大事の時にも国を誤るだろう」と卓見を示したのは山本夏彦であるが、本書ではマスコミや政党が俗耳に入りやすい言論を弄した末、過去国を誤った経緯が赤裸々に綴られている。日比谷焼き討ちから日米開戦と限られているが、大衆とそれを利用する野党やマスコミ、革新の果ての開戦と、戦前のポピュリズムの流れを一目で見て取れるようになっている。五・一五の報道の理論より感情、帝人事件、天皇機関説事件を提起した方法を見ていると、この分野は戦前から看板付け替えただけで、全く変化していないのが見て取れるのも恐ろしい。2018/02/03
かごむし
44
本書のポピュリズムとは、普通平等選挙法成立などを一つの契機として本格的に台頭した大衆勢力を利用した政治、という意味らしい。日露戦争の講和条約に抗議した1905年日比谷焼き打ち事件から、1940年大政翼賛会発足のあたりまで。マスコミ(当時新聞社)が大衆をあおり、そのエネルギーに引きずられるようにして日中戦争、日米戦争へと踏み込んでいく様子が理解できる。政党政治を批判し続けるマスコミ。政治不信から、政治シンボルとしての天皇、軍部、新体制など、中立的に見えるものが導き出された。今にも通じる知見もたくさんあった。2019/12/05
skunk_c
43
うーん、筒井先生、罠に落ちてしまったのかな。ご自身は「あとがき」ですっきりしたとお書きだが、読者としてはかえってもやもやが増した印象。それは「ポピュリズム」という概念を、きちんと吟味せずに説明で多用しているからだ。例えば大方のメディアの予想を覆して当選したトランプ大統領をポピュリストと呼ぶのは世の習わしで、その意味でメディア主導=ポピュリズムではないはずだが、本書ではメディアによって大衆の声が擬似的に増幅されている事態をポピュリズムと呼ぶ。書かれている歴史内容は興味深い面も多かっただけに残念な気がした。2018/07/17
樋口佳之
39
映画「金子文子と朴烈」のあの写真が当時こんな意味合いをもっていたなんて。/ただ全体としてはもやもや感が残って、ポピュリズムが日米戦争への道を作ったのでしょうか。2・26に直接触れてないのはこの論旨が通らなくなってしまうからでは。/マスコミや政治家は今現在でもあって、変わらない事やってるなあと理解容易ですが、軍部は既に無い。226時点で皇軍相打つ可能性もあった実力組織の存在の大きさは既に想像するのが難しい。ポピュリズム的な後押しがあったのはそうでしょうけど、引っ張ったのは誰なのかと言う事。2019/06/04