内容説明
カント哲学の専門家であり、闘う哲学者と言われる著者の日々、ひたすら思考する。
「私が存在するとはいかなることなのか」「善悪とは何であるのか」「私は死後どうなるのか」と自らに問う。
デカルトの「これらの問いをまったく発しない人は稀であろう。では、それにもかかわらず、なぜほとんどの私は思惟する、よって私は存在する」という命題に疑問を持ち、『純粋理性批判』などのカントの著作をもとに答えを見つけようとする。
問い続けることは苦しみだが、それが哲学することだという。
「このすべてを認めた上で、それでも問い続ける人がいる。
その内の多くは、岩のような問いをほんの僅かでも自力で熔解していくことが無性に楽しいからである。
究極的真理には達しなくとも、真理に一ミリメートルでも近づくことが他の何にも換えがたい喜びだからである。」という言葉に、哲学者としての著者の実像がある。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
団塊シニア
45
哲学者としての人生観、難解な部分もあるが、少数派としての独特の価値観は健在である。2014/05/01
踊る猫
35
過去、ぼくは哲学的思考と実際的な生活のあいだに乖離を見出していた。どんなに高尚なことを考えようがお腹が空くし、どんなに意味がないとのたうち回っても人は実際的には生きることを選ぶ。だが、中島義道のこの著作は実にあざやかに両者を接合し、哲学の境地と彼の日常が融合する世界を示す。引かれている哲学者がサルトルやカントといった古い……いやクラシックな人たちばかりなのは御愛嬌だが、彼にとって哲学がたんにスノッブな知的遊戯ではなく真に生きること、真に生の無意味と対決することなのが如実に伝わってきてこちらも居住まいを正す2025/11/17
磁石
27
哲学者とはどういった人種なのか、何となしに掴めるエッセイ。あのニーチェですら、「人生には意味があって欲しい」という情動を事実だと誤解していると切って捨てる、徹底して「人生は無意味だ」を貫く。そしてソレを、だれかの受け売りでも紹介でもなく、自分だけの血の言葉をもって刻むこと。ただし、書けば書くほど遠ざかっていく/欺瞞の臭気を帯びてしまう、どうしても完成にはいたらない。悩み続ける、無用の人生。……こうなったらまずは形から、自分の血文字で描くしかないのかもしれない2017/05/30
テツ
17
中島義道が日々を綴るエッセイ。哲学的な疑念を世界の全てに対して向け続けられる力がある人のことを哲学的なセンスがあると定義するのなら、氏の哲学的センスは素晴らしいものなのだろう(興味のない人間から見たらただの偏屈じいさんなんだろうけれど)。 自分が捕らわれ続けている死の意味。生の意味。善とは何か。そういうどうでもいいことについて悩み思索を続けている人間が世界にはたくさんいると思えると安心できるんですよね。延々と繰り返す数々の疑問から抜け出せていないのは自分だけじゃない。2016/10/07
ichiro-k
10
このところ季節の変わり目で、天候が不順だ。気温の変化に身体がなかなかついていけない。反応が鈍い。まるで恐竜が尻尾を踏まれ、しばらく経って「痛み」を感じるようなものである。こうしたことも老化現象なんだろう。老人性うつがチットはよくなったように思えるが、何のことはないアルコール依存になっているようである。アルコールは、一線を越したところで思考能力が鈍る。幸いに陰気な酔い方ではないので、何事もどーでもよくなり、眠ってしまう。その感覚がストレス解消になっているので酒が止められないのだ。昔を振り返ると、以前は「嬉し2011/05/21
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