内容説明
かつて人は自分だけが知っていることを自分の言葉で語った。だが19世紀半ばの「フランス革命より遥かに重要」な変容で、人は誰もが知っている事実を確認し合うように誰もが知る物語を語り始めた。フローベール『紋切型辞典』を足がかりにプルースト、サルトル、バルトらの仕事とともに、なお私たちを覆う変容の正体を追う。明晰にしてスリリング。知的感興が横溢する、いまこそ読まれるべき不朽の名著。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しゅん
12
「物語」というより、「終焉の物語」批判だった。気がする。「物語の終わり」を宣言せずに、二者択一を無視して生きる。神様はなにも禁止なんかしてない。2020/08/19
しゅん
8
再読。読みやすいのだが、理路を思い出そうとすると若干混乱するな。『紋切型辞典』からはじまる19世紀フランスの「流行」と「問題」。『失われた時を求めて』の読解から見出す、「戦争」の「長さ」と「短さ」の議論。サルトル、フーコー、そしてバルト。「終わり」に抗するための無時間性。「終わり」も「問題」も肯定するための「浅さ」あとがきで書かれている通り、これも「物語批判」という物語。2025/05/01
静かな生活
5
解説の磯崎が言う通り、今で言うインターネットが百科事典信奉を生んだ現実を予言している。そしてそれは世の中をつまらなくさせている。しかし一方であの語り口は慣れなかった。2022/05/28
nranjen
5
フロベール にはじまり、プルースト、フーコー、バルトに話は及び、近年の文学研究の動向を視野に収めることができる。プルーストの戦争に関わる部分の分析が非常に面白かった。2020/04/09
kumoi
3
フローベール『紋切型辞典』の考察から展開する本書は、太平洋戦争終了直後のサルトルの言説に対する批判とバルトのエクリチュール論に対するやや積極的な賛美を通じて、1850年以降頻繁に見られるようになった知に従属しない語りについてリベラルに(?)記述する。21世紀になっても尚残存しているこの説話論的な磁場は、「AIの時代が始まった」という言説として具現化しており、いずれ来たるAIの終わりを既に内包しているのであろうか。本書は、中心のないお喋りと戯れざるを得ない我々に向けての治療薬となり得るだろう。2025/05/31