内容説明
甲斐駒ケ岳の山岳地帯に作業場をかまえ、鉄のゲージツ家として活動を続けてきたオレ。後期高齢者となった今は、畑に野菜を作って猿や鹿との攻防を繰り広げ、奈良のお寺から蓮の根をわけてもらい、美しい花を咲かせるのに熱中する日々だ。
そんな作業場へ、サングラスを掛けたスキンヘッドの男たちがやってきた。
「ああ、そうか。マロの一味だな」
「はい、弟子の舞踏者です」
目をやると、テンガロンハットに黒い革のコートをまとった「中央線の魔王」が、桜の木に寄りかかっていた。オレの作品のガラスの柱を舞台に使わせてほしいと言うのだ。
「クマ、一緒に踊るか」
「オレが? マロと?」
子どもの頃から歌も踊りも苦手なオレだが、マロに「ダイジョーブ、俺が演出するんだ。素直な躰ひとつ、お持ちいただけるだけでよろしいので」とまで言われて怯むのは「私に生きる才能は残っておりません」と白旗を掲げるようなものだ。・・・
こうして白塗りのメイクで、麿赤児率いる大駱駝艦の初舞台を踏む「戯れの魔王」。
母の死を看取り、蓮の花が開いて散るまでの4日間を見届けて送り火を焚く「蓮葬り」。
日本アルプス屈指の名峰・甲斐駒ケ岳の初登山に、靴ずれしながら挑みきる「アマテラスの踵」。
鉢植えの蓮を野生の多年草に戻そうと、池を掘って腰をやられた。頑丈な肉体にも老いはしのびよる。そんな作業場に仔猫が迷い込む「ささらほーさら」。
話題作『骨風』のKUMAさん、生きる実感に満ちあふれた最新小説集。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
しゃが
55
前作は男の人の哀切だったが、今作は男の人の安堵や慈しみかもしれない。甲斐駒ヶ岳に作業場を持つ鉄のゲージツ家KUMAさんの短篇集。母の死を看取り、毎年蓮の花が開いて散るまでを見守る「蓮葬り」、日の出とともに魅了されてきた信仰山岳の登山に挑み、自然や村人の営みの中から寛容さ(寛容さを和語でどう表現するのだろう)と自らのからだへの束縛や解放を感じる「アマテラスの踵」、生き物や自然のつよさやわらかさを描いた「ささらほーさら」。「アマテラスの踵」といろんなことが起きて大変だという意味らしい「ささらほーさら」が好み。2019/01/06
R
37
実録の日記めいた内容なんだが、とても読まされてしまう。世界をどう見ているかが語られることで、それを美しいと変換してみることができるようで不思議な魅力にあふれた文章だった。魔王であるマロさんとのすれ違いの話しと、一緒に作り上げた舞台の話しが非常に面白くて、最初誰のことか全然わからなかったのに、読んでいたら突然、麿赤兒の姿が浮かんできたように錯覚するような、文章で人を形作る表現が見事だと思った。人となりが滲むよい本だった。2025/06/19
メタボン
28
☆☆☆★ その風貌の割には繊細な文章が良い。老母との別れと漬物樽で成育する蓮の記録が淡々として良い「蓮葬り」、甲斐駒ヶ岳へ挑む壮絶な登山記「アマテラスの踵」、麿赤児との共演「戯れの魔王」、死にかかった迷い猫を助ける「ささらほーさら」。2019/06/07
青木 蓮友
14
クマさん、いい。たまりません。ツイッターをフォローしているわたし。基本的にやはり日頃のツイートの詳細版というか、世界感空気感そのまんまでもう堪能堪能。写真もいつもツイートで見ているから、より分厚く、お話のなかに居られたような気がします。オッカサン、タヂカラさん、マロさん、仔猫。読みすすめるうち、じっと黙って過ぎゆくのを見つめるクマさんの後ろ姿を眺めているような感覚に。なんかこうものすごく繊細だから、人や猫にはもちろん生き物すべて、いっそ大自然に向ける眼差しさえ優しくて。ぜひ会ってみたい、そう思える人です。2019/01/17
Costa まさ
11
前作「骨風」もサイコーだったけど、より洗練された印象。そうかと言ってオシャレでもスマートでもなく、相変わらず作者自身の生活や老い、それに伴う諸々の匂いや手触りが充満していた。人や自然を見る目が超絶的に繊細。やっぱりサイコー!2019/05/05