内容説明
川辺の下町、東京・三河島。そこに生まれた父の生涯は、ゆるやかな川の流れのようにつつましくおだやかだった──と信じていた。亡くなってから父の意外な横顔に触れた娘の家族のルーツを巡る旅が始まる。遠ざかる昭和の原風景とともに描き出すある家族の物語。第43回泉鏡花賞、第68回野間文芸賞受賞作。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
mii22.
66
初めて読んだ長野作品『箪笥のなか』を思い出す。昭和の懐かしい風景、自分の子供時代の記憶を掘り起こし水彩絵の具で色つけしていくようにだんだんとよみがえる鮮明な記憶。死後折々に父の来歴に想いを馳せる娘の姿に徐々に自分を重ねて心が動揺したまらなくなった。長野さんとは同年代、同じ時代を生きてきた私にとってこの二編のお話は自分のことのようにさえ思えてくる。震災や戦争の悲惨さ原爆の恐ろしさを背景ににおわせながらもどこか人の悲しみにも温かな眼差しを向け、生きることの素晴らしさをさりげなく伝えてくれている。2020/05/10
rico
39
この人の文章好きだなあ。千住界隈の川筋の風景、水郷地帯を行き交う小舟。行ったこともないあの時代のあの場所の空気感が溢れてて、引き込まれる。描かれるのは父の死と葬儀や遺品をめぐるあれこれや、記憶、親戚の昔語りから見えてきた壮絶な人生。そして今。昭和初期・戦中・戦後と生きぬいた多くの市井の人がそうであるように、平凡な日常と地続きのところに、例えば死体の山の中を歩きまわった記憶が埋まってる。淡々とした語り口で、歴史に残らない多くの人生があることを思い至るが、密度の濃さでは平成は昭和にはかなわない気がする。2018/12/04
エドワード
37
昭和五年に東京で生まれた父の死に際して、娘の心に去来するかつての日々。時は流れて21世紀、遠ざかる一方の昭和の東京が、長野さんの美しい文章によって蘇る。都電が走り、数多の川や橋があり、料亭があり、銭湯があった。人が亡くなることは、記憶が消えることだ。建物の記憶、店舗の記憶。私も50年前の京都の風景を覚えている。舗装のない道路、夜店、線路脇の遊び場。そう、ついこの間まで、町は喧騒とゴミと人々の夢に満ちていた。小綺麗だが個性の無い町ばかりになっていく日本。旅先で懐かしい風景に出くわすのが私の無上の楽しみだ。2021/04/04
miu
19
東京生まれ東京育ちの父は被爆していた。父の死と父を取り巻く親戚たち。ずっと古い8ミリフィルムを観ているよう。静かに淡々と語られる長野まゆみさんの父のお話。疎開先の広島で原爆にあったという。県外から来た人はこういう風に受け止めていたのか。ずっと広島に住み続けている人たちとはまた違った感情がそこにはあった。死は真実と空想の境目にあるのかもしれない。死者の本音は一生わからず、こちらはただただ残された者たちで、思い話し続ける。ずっとずっと境目を漂っている。2019/01/05
凛風(積ん読消化中)
12
昭和5年生まれの父が亡くなり、その足跡を辿る『冥途あり』と、父の法事で集まったところで語られる銭湯「まるせい湯」の先代主人の数奇な半生の物語『まるせい湯』の2篇を収める。どちらも実話を元にしているのだろう。ちょうど、私と私の父の年齢に重なる時代の話で、忘れていたことを思い出したり、懐かしさを感じたりしながらの読書だった。原爆投下の日に広島にいて、ガラスの粉が入ったままでキラキラ光る背中をしていたお父様の逸話に『八月六日上々天氣』のルーツを見た気がする。重くなりがちな話を軽くしてくれる、双子の存在が有難い。2024/02/10