筑摩選書<br> 自由か、さもなくば幸福か? ──二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う

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筑摩選書
自由か、さもなくば幸福か? ──二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う

  • 著者名:大屋雄裕【著】
  • 価格 ¥1,485(本体¥1,350)
  • 筑摩書房(2018/10発売)
  • ポイント 13pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784480015952

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内容説明

日本でも犯罪不安が高まり、監視が強化されている。幸福な人生への私たちの欲望が、こうした社会を生み出した。しかしそこでは、言われなき差別が助長されかねない。ならば、どのような社会が望ましいのか? この問いに応えるべく、本書はまず「個人」の自律性が夢見られた一九世紀システムにまで遡り、それが機能不全を起こし、個人の能力不足を社会システムが補うようになった二〇世紀の苦闘と幻滅を描き出す。「自由」と「幸福」という両立し難い価値のうち、私たちは、どちらをどのような理由で優先させるべきなのか。二一世紀の〈あり得べき社会〉を、正義という観点から構想した社会哲学の書である。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

壱萬参仟縁

24
オーウェル『1984年』が取りざたされる。外的な 生存の条件(傍点)と内心における 人間らしさ(傍点)、内外の自由が不可分で、外を無視して良心の砦へと退却して支配と隷従への道を乗り越えることはできない問題(014頁~)。国家権力による国民への行動監視、追跡。監視の目は増強されている(071頁)。わたしの住宅付近上空を低空飛行している気もしなくもない。著者は生活や人権が、平等に扱わなくてもよい主体に自由に制約されることを、望むかどうか、疑義を呈する(081頁)。 2014/11/17

小鈴

23
良書。近代的な「自律した個人」という自己像の賞味期限がきている。19世紀の夢であった平等な個人たちの世界、自由と幸福の19世紀システムの機能不全が露呈している。新たな社会像をどのように模索するか。「自由・快適・公正といった、相互に両立しない価値のどれを・どのような理由で優先するのか」(17-18)。 「新しい中世」の新自由主義、総督府功利主義のリベラリズム、ハイパー・パノプティコンの三つの社会像を提示する。あなたはどの社会像を選びますか。2019/08/05

しゃん

22
本書を読んで、19世紀の夢であった平等な個人たちの世界、自由と幸福の19世紀システムが実現した瞬間に機能不全を露呈したことが示されるとともに、監視社会となった今、個人や人格というこれまで当たり前と思っていたものの自体が脅かされていることを感じた。所与のもの(そう信じていたもの)について、不断に考え続けていないと、知らない間に大きな波にさらわれてしまうのかもしれないなと。。。なお、本書は、いくつかの論文が一つに纏められている形式だったので、途中で文体が変わったりして、読みにくさを感じたところもあった。2018/10/20

masabi

13
19世紀型の幸福システムは綻びを表したが、それに代わる代替システムが未だ見つからない。3つの構想がある。新自由主義型、感覚のユートピア型、ハイパーパノプティコン型とが考えられる。どれも理想的でも最善でもないが個人的にはハイパーパノプティコン型がまだマシだった。全員が監視の対象となる世界。ベンサムやフーコーについても読んでみたくなったので次の課題図書としよう。あと感覚のユートピア型は伊藤の『ハーモニー』を彷彿とさせた。2014/12/08

テツ

11
近代的な価値観では人は自由であることが幸福であるための絶対条件であるとし、それに則りぼくたちの社会も形成されてきたけれど、もしかしたら自由というモノは人間をそれほど幸福にはしないのではないかと考える人が増えてきた気がする。自由が素晴らしく尊いということは(古い価値観がこびりついているからかもしれないが)否定しないけれど、それが個人にとっても群れにとってもとてつもない重荷になっていることも確かだもんな。今この瞬間は社会的な価値観が変貌する過渡期なのかもしれないな。幸福の形は時と場所によって変わる。2021/04/05

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