講談社選書メチエ<br> なぜ私は一続きの私であるのか ベルクソン・ドゥルーズ・精神病理

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講談社選書メチエ
なぜ私は一続きの私であるのか ベルクソン・ドゥルーズ・精神病理

  • 著者名:兼本浩祐【著】
  • 価格 ¥1,815(本体¥1,650)
  • 講談社(2018/10発売)
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  • ポイント 480pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784065135198

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内容説明

オートポイエーシスという閉じた系の身体でありながら、意識が立ち上がるに際しては外部に連結する開口部を持たなければならないという矛盾。意識という現象はいったい何なのか。脳の働きとの関係はどうなっているのか。それは「私」という一続きの事態をどう成立させているのか。脳科学研究が「意識」の物質への還元を方向付ける趨勢に反駁したベルクソン、さらにドゥルーズの理論を参照し「私」の立ち上がる現場に迫る。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

アキ

78
わたしとは誰であるのか?精神科医である著者は、医師としての経験を通じて、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」としての主体ではなく、西田幾多郎の「物来りて我を照らす」の対象から見たわたしを考える。ドゥルーズ「差異と反復」を引用し、ベルクソンの縮約をキーワードに、対象が同一性を保つことが、数十ミリ秒の単位で同期する大脳を持つ人が人である構造的な条件であると考える。わたしという意識は、対象が私を規定する還元論者が主張する確固たるものではなく、か細く絶えず存続しようと努め続けているような何事かではないかと主張する。2020/03/10

夜長月🌙@5/19文学フリマQ38

67
私は私を自分と認識して他人と区別しています。自分の心は自分だけがわかります。この心とは何でしょう。私は科学的には突き詰めると心とは脳のことだと思っていました。しかし、脳科学では心と脳は同一ではありません。例えば「桜は美しい」という言葉で指している桜は自分と他人ではそれぞれ異なります。具体的な桜ではなく抽象的な桜ではありますが真の桜というものが無いのですから人それぞれが個人的な体験を通じて違う桜を思っていることになります。この現実の桜と記憶上の桜の違いが脳と心の違いでもあります。2023/05/23

YO)))

21
私が一続きの私であること、面前する他者が以前相対したのと同じ他者であること、靴が(一期一会的な”靴のようなもの”ではなく)間違いなく靴というものであること─。それぞれに複雑で不思議で、危うい。統合失調症などの症例を例示し、危うさの基盤、或いは向こう側にある「そうではない世界の可能性」に寄り添う著者のまなざしに、時にハッとする。2019/06/29

しゅん

19
「私」の意識はどこからやってくるのか。哲学者・科学者たちから得た学びと、精神病理の人々との関りを重ねて考える。興味深かったのは体と「私」の距離。ボディビルダー、マッスル北村は僅かな体の緩みも許せず、実質上の餓死に至った。死を辞さない執着は、対象が身体だからこそ生まれる(本文では床屋の名人のハサミと対照されている)。身体は意識から近いようで遠く、「私」の身体意識は外からやってきて受肉する。この身体の外部性というものが、自分にはなじみ深く、「私」のおぼろげな招待を考える上での大きなヒントになると思った。2022/04/11

テツ

16
「私」の成り立ちと持続性について、精神科医の著者がドゥルーズ、カント、ベルクソンのお話と共にメンタルを損なった方々の様子等を含み思考を積み重ねる。「私」を成り立たせるのに必要なのは、ぼくの内側から生まれる不思議な何かではなく、膨大な数の他者から認識される「私」の不確かな姿なのではないか。ぼんやりとした像を勝手に構築され、それに合わせるように自分を成り立たせる。もしかしたら自分の姿さえ自分では手が出せず創ることができないのではないかという考えに至り恐怖する。面白かったです。2023/01/25

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