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内容説明
「“全般経済学”とは、生産よりも富の“消費”(つまり“蕩尽”)のほうを、重要な対象とする経済学のことである。」経済合理性の範疇に収まらない蕩尽・祝祭・宗教・エロス・芸術は、人間の喜びの本質が有用性の原理に拠って立つ生産・蓄積過程にあるのではなく、消費・蕩尽にあることを示す。本書は人間が不可避的に内包せざるを得なかった「過剰」を考察の対象にして人間存在の根源に迫り、生を真に充実させるために、蕩尽・神聖・恍惚に代表されるこの「呪われた部分」の再考を鋭く強く促す。意識の「コペルニクス的転回」に賭けたバタイユ作品の新訳。巻末に先駆的重要論文「消費の概念」を収録。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
1.3manen
33
1949年初出。《全般経済学》の原理を明らかにしようとしてうまくいかなかった。《全般経済学》とは、生産よりも富の《消費》(つまり《蕩尽》)のほうを、重要な対象にする経済学のことである(012頁)。一言で言えば人間の地球全体での活動のなかには、 経済の全般的データ(明朝太)を研究してはじめて現れてくる原因と結果があるのではなかろうか(027頁)。人は、贈与することで、自分の富と自分の幸運(自分の力)を表明した。《商人》は贈与する人間であった(099頁)。自由とは、本来、反逆にこそ基盤を持ち、2018/04/03
しゅん
11
久しぶりに読んだら内容の理解がすすんでおどろいた。新訳の影響かしら?「生産」ではなく「消費」を中心に経済学を見るという発想は今や珍しくない気もするが、バタイユの場合度を越した消費に目をつけているのがやはりポイントだと思う。2020/02/18
Ex libris 毒餃子
10
p.182「宗教とは、一個の社会が富の余剰を使用して引き起こす快意のことなのである。」 ここからヴェーバーにつながるのがなんとも痛快な理論展開。他の理論はすんなり納得。2021/12/18
nranjen
8
「生産」ではなく「消費」(しかもそのほとんどが日常を逸し度を越した例があげられている)から、マクロな視点から経済を考えようとする試み。近年メジャーになっている地球環境問題のような、人類全体を見据えた視点ともとらえられ、このような物の見方は相当時代を先取りした感があると思う。しかしソビエト連邦やマーシャルプランのくだりは時代を感じさせる。こういう思考が小説の世界と繋がっているらしい点で、しみじみバタイユは不思議で面白い人だと思う。2019/03/22
井蛙
7
全球的な規模で見た場合、エネルギーというのは常にありあまっている。それゆえ生産と蓄財に本位を置く個別経済学から全般経済学へと移行し、消費を有用性の軛から解放しなければならない。ざっくばらんに言えば戦争しないように上手いことガス抜きしましょうよって話なんだけど、全般と名付けられる所以は技術や規模の問題に尽きない。著者によれば、自己を蕩尽するときにこそ、人は疎外・分離されたモノという状態を脱却し、個別性と普遍性、内奥と外面の幸福な結婚を実現することができる。これが全般の真意であって、この経験こそ至高性なのだ。2018/10/05
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