岩波新書<br> 対話する社会へ

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岩波新書
対話する社会へ

  • 著者名:暉峻淑子
  • 価格 ¥946(本体¥860)
  • 岩波書店(2018/04発売)
  • ポイント 8pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784004316404

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内容説明

個人の成長過程で,地域で,社会で,国家間で…あらゆる局面で,今いかに「対話」が喪われていて,その結果何が起こっているのか.逆に「対話」があれば,どんなことが可能になるのか.新しい視野が開け,何年もたってから大きな解が得られる対話とは,そもそも人間にとって何なのか.豊富な事例をもとに説く,渾身の警世の書.

目次

目  次
   まえがき

 第1章 思い出の中の対話
   最初の対話/知ることほど人生に楽しいことはない/ 「あなたは僕のお母さんですか」/ありがとう、と言ったり言われたり/恩師との研究的対話/対話の思い出がない?/本との対話/あるドイツ女性との対話
 第2章 対話に飢えた人びと──対話的研究会のはじまり
   本当の話がしたい/添加物のない自然の水/人間の考えはいろいろ/聞き手さえいれば/人びとは生の人間との対話に飢えている/対話の定義
 第3章 対話の思想──なぜ人間には対話が不可欠なのか
   子どもの発達と対話/対話と人権/対話への旅路/バフチンの「対話の思想」
 第4章 対話を喪ったとき
   沈黙の社会/対話を回避する社会
  [対話喪失社会の陥穽・1]驚愕の「学校経営の適正化」
  [対話喪失社会の陥穽・2]なぜ九人もの命が失われたのか
   技術者は対話をしたのか
  [対話喪失社会の陥穽・3]住民無視の関越道高架下問題
   対話が根づかなかった日本社会──その分析/対話が根づかないもう一つの理由/日本人は何を捨ててきたか
 第5章 対話する社会へ
   民主主義の土台として/自分で考えるということ/多様性をありのままのこととして/対話するドイツの市民たち
  [希望の実例・1]白鳥先生の挑戦
  [希望の実例・2]行政と住民との対話でつくられた道路
   まちづくりの主人公は誰か/対話が生み出した“新しい子ども”/誰のための道路か/急がば回れ/周到な準備と細かい工夫/協議会の実際/何が成功の要因だったのか
  [希望の実例・3]対話の積み重ねのその先に
   対話を通して全契約社員を正社員に/成果の裏に歴史の積み重ね

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

壱萬弐仟縁

49
ドイツ人曰く、「対話が続いている間は殴り合いは起こらない」(ⅰ頁)。知ることほど人生に楽しいことはない(7頁~)。無限とは、量的な思考から会報されていることだ(13頁)。宇野弘蔵先生は、自由な雰囲気の中で、対話の形で、疑問点をどこまでも質問することのできる、アカデミックな雰囲気と親しさがあふれる数時間をつくってくださったという(19頁)。現代の市民大学院のようなものであろうか。また、宇野先生は東北大学時代に、陽のあたらない傍流の学問分野から経済の本質を見直してみるのも、2017/07/10

ゆう。

29
この本は、「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話」という言葉から入ります。平和を支えているのは、対話し続け、対話的態度と対話的文化を社会に根付かせようと努力している人々の存在だとしています。そうしたなかで、対話のもつ意味や力を地域づくりや政治問題まで幅広く考察しています。対話は民主主義が担保されなければ保障されません。今の日本の政治を見ていると、共謀罪などで対話を罪に問おうとしている一方で、国会論戦では対話的な論戦ができていません。だからこそ余計に対話する社会が求められているのかもしれません。2017/03/20

kaizen@名古屋de朝活読書会

21
#感想歌 言の葉の意味は対話の双方の違いと共通構造の有無2017/05/14

那由田 忠

19
対話といっても、同じように考えている仲間内でただ雑談をしているだけではまずいだろう。SNSでそうした「雑談」は大きく広がっているわけだから、対話がないと言われても何のことやら意味不明な気がする。重要なケースが、2012年のトンネル天井板落下事故と、住民と東京都が話し合って建設した調布保谷線である。前者は、社内で異議申し立てができるかどうか、後者は建設的な対話と技術による具体的な解決策があるかどうかの話。単なる対話する云々ではないと思うが、何か格好良く聞こえるよね,このタイトルは。2017/05/04

ほし

16
対等な人間関係の中で、相互性のある話し合いが対話であり、そこでは個人の感情や主観を排除せず、むしろその人の個性や人格を背景に、自己を開放した話し方が行われると筆者は述べています。 それは権威主義とは無縁のものであり、筆者は戦争や暴力の反対語は、何もしない平和ではなく、対話なのだと考えます。 ぼくが読んでいて感じたのは、過去の日本の村においては、ある事柄を決定する際には「寄合」という形で村人が徹底的に話し合うということがありましたが、これって少なくとも今の日本より対話が重要視された社会であったのでは?と。2019/08/19

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