内容説明
動乱のローマ帝政初期,皇帝ネローの教育係となったストア派の哲学者セネカ(前4頃-後65)は,のちにネローの不興を買い,自決せねばならなかった.ストア派の情念論を知るうえで重要な「怒りについて」と,「摂理について」「賢者の恒心について」を収録.白銀期ラテン語の凝集力の強い修辞を駆使した実践倫理の書.新訳.
目次
目 次
摂理について
賢者の恒心について
怒りについて
解 説
訳 注
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
34
26
星々のなんと遠くに見えることか。セネカは《神々が大きな喜びをもって眺めたことを、私は疑わない》といっている。卓越した善きひとびとの死にいたるまでの艱難を、である。なぜ神の摂理にもかかわらず善人が苦しみ、世界に悪が拡がっているのか。キリスト教世界はこの問いにセネカのような仕方で答えることはできなかった。セネカは徹底して怒りに場を与えるべきではないと考えているが、それがいくら小市民の感性に馴染むとしても、《アキレウスの怒りを歌え》と歌ったイオニアの詩人からそれほど遠くないところにいるのを見落とすべきではない。2019/02/21
ロビン
25
表題作の他なぜ善き人に災厄が起きるのかを説いた「摂理について」、賢者は不正も侮辱も受けないと説く「賢者の恒心について」を収録。「怒りについて」では、如何に怒りが有害であるかについて具体例を引いたりしつつ諄々と説く。セネカの定義では、師匠が弟子のためを思って怒ることや、暴君に対する義憤などは「怒り」に含まれないようである。怒りは無知か傲慢ゆえに起こるというのは成程と思った。一般的な人間の心理に疎くて周囲の反感や悪意に驚く時や、自分だけは大丈夫という慢心が裏切られた時に確かに怒りは感じやすい。為になった。2021/01/26
加納恭史
24
エピクテトスの「人生談義」を気楽に人生相談の対話と読んだが、セネカの「生の短かさについて」を読むと、次第に彼の奥深い思想に感銘を受ける。次のこの書物もなかなか神妙だな。セネカは皇帝ネロの教師となり、護民官となり、初期のネロの善政を補佐。しかし皇帝ネロは狂ったようになり、母親も妻も殺害するに及び、セネカは職を退き田舎に遁世する。その後刺客の隊長から自殺を強要される。凄まじい処世術。だがストア哲学の研究に一生を捧げた。この書物は前作の「生の短かさについて」より遥かに奥深い。先輩キケローも研究すべきで先は長い。2023/09/15
加納恭史
20
今年の札幌の夏はまだ蒸し暑い。体調も今一つなのか、「ベールの彼方の生活」の「憩いの里」の癒しが欲しくなる。セネカのこの本はさすがに難しいので気が滅入ったのか。気力も回復して、この本の三編の中で初期の「怒りについて」を検討する。セネカの兄ガッリオにあてて書かれている。この怒りの情念はおぞましい上に狂暴である。これは全体的に駆り立てられ、激情のなすがまま、苦痛、武器、血、拷問を求め、一片の人間性もない欲望にたけり狂い、他者を害するまで己を忘れ果て、復讐に燃え、復讐者自身、もろともに引き倒さずにはおかない。2023/09/18
roughfractus02
13
近代以後不正は行為にそして法に関わる。一方、古代の不正は徳(virtue:勇気と節制)に関わる。著者の魂を鍛錬するストア派的な徳の実践は、3つの不正(神の試練:「摂理について」、他者からの侮辱:「賢者の恒心について」、他者に対する情念:「怒りについて」)を糧にして、その生を感情から解放するアート(術)にまで高めた。怒りを抑えるだけでなく防ぐというその理性主義は、カリギュラとネロの暴虐的治世の中で翻弄される自らの運命を肯定すると同時に、社会的情念としての善悪への一貫した無関心によってその自由意志を肯定する。2022/05/21