内容説明
動乱のローマ帝政初期,皇帝ネローの教育係となったストア派の哲学者セネカ(前4頃-後65)は,のちにネローの不興を買い,自決せねばならなかった.ストア派の情念論を知るうえで重要な「怒りについて」と,「摂理について」「賢者の恒心について」を収録.白銀期ラテン語の凝集力の強い修辞を駆使した実践倫理の書.新訳.
目次
目 次
摂理について
賢者の恒心について
怒りについて
解 説
訳 注
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うえぽん
52
ローマの哲学者による、怒り、摂理、賢者の恒心に係る論説集。怒りについての第1巻では、激昂や罰を科すことへの欲望等の怒りの定義を述べた上で、敵への対抗や戦闘時等には必要とする議論に反駁し、怒りに偉大な精神はないとする。第2巻では、怒りは衝動ではなく意思によるものだとし、病気や身体の不調を避け、子供を健全に躾けるなど、怒りに陥らない方法論を説く。第3巻では、残虐な王等の避けるべき実例を示した後に、怒りを感じない心の躾け方を論ずる。現代人の想像を絶する怒りの描写に驚くが、徹底した否定論と処方箋は現代にも通ずる。2025/03/27
かわうそ
41
『誰が善の付加を拒絶するか』P111 『許しが困難な時には、皆が無慈悲であることがわれわれのためになるのかどうか考えよう。宥恕を拒んだ者が宥恕を求めたことが、どれほどしばしばあったことだろう。』P184 この点は西洋哲学が一貫して主張している。 カントであれば「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」と表現しているものである。 つまり行為は義務(〜しなければならない)で成り立つべきである。義務は法よりも範囲が広い。法は義務の一部を明文化したものに過ぎない。 2025/03/09
ロビン
26
表題作の他なぜ善き人に災厄が起きるのかを説いた「摂理について」、賢者は不正も侮辱も受けないと説く「賢者の恒心について」を収録。「怒りについて」では、如何に怒りが有害であるかについて具体例を引いたりしつつ諄々と説く。セネカの定義では、師匠が弟子のためを思って怒ることや、暴君に対する義憤などは「怒り」に含まれないようである。怒りは無知か傲慢ゆえに起こるというのは成程と思った。一般的な人間の心理に疎くて周囲の反感や悪意に驚く時や、自分だけは大丈夫という慢心が裏切られた時に確かに怒りは感じやすい。為になった。2021/01/26
34
26
星々のなんと遠くに見えることか。セネカは《神々が大きな喜びをもって眺めたことを、私は疑わない》といっている。卓越した善きひとびとの死にいたるまでの艱難を、である。なぜ神の摂理にもかかわらず善人が苦しみ、世界に悪が拡がっているのか。キリスト教世界はこの問いにセネカのような仕方で答えることはできなかった。セネカは徹底して怒りに場を与えるべきではないと考えているが、それがいくら小市民の感性に馴染むとしても、《アキレウスの怒りを歌え》と歌ったイオニアの詩人からそれほど遠くないところにいるのを見落とすべきではない。2019/02/21
加納恭史
24
エピクテトスの「人生談義」を気楽に人生相談の対話と読んだが、セネカの「生の短かさについて」を読むと、次第に彼の奥深い思想に感銘を受ける。次のこの書物もなかなか神妙だな。セネカは皇帝ネロの教師となり、護民官となり、初期のネロの善政を補佐。しかし皇帝ネロは狂ったようになり、母親も妻も殺害するに及び、セネカは職を退き田舎に遁世する。その後刺客の隊長から自殺を強要される。凄まじい処世術。だがストア哲学の研究に一生を捧げた。この書物は前作の「生の短かさについて」より遥かに奥深い。先輩キケローも研究すべきで先は長い。2023/09/15