内容説明
「人間の文化は遊びにおいて、遊びとして、成立し、発展した」。歴史学、民族学、そして言語学を綜合した独自の研究は、人間活動の本質が遊びであり、文化の根源には遊びがあることを看破、さらに功利的行為が遊戯的行為を圧する近代社会の危うさに警鐘を鳴らす。「遊びの相の下に」人類の歴史の再構築を試みた不朽の古典をオランダ語版全集から完訳。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
うえぽん
47
ライデン大学長を務めた歴史学者が、歴史学、民族学、言語学を統合し、人間活動の本質は遊びにあるとした古典。遊びとは自由な仮構で、時空間的に制限され、規則や秘密がある。戦いか演技のいずれかで、競技、劇に表れ、祭りは両者を兼ねる。プラトンは真面目に楽しく遊ぶことを最高の行為とした。言語学的にも、遊びは対立語の真面目より高級で独立した概念とした。裁判、戦争等と遊びとの関連、ローマ期以降の文化における遊びの要素も分析されるが、19世紀以降の功利的行為がスポーツや科学に遊びの余裕を失わせたとした著者の意図を汲みたい。2026/02/23
ころこ
42
「遊びは我々の意識にとっては真面目さに対立する。この対立は一応遊びの概念それ自体と同じく、他の概念に置きかえられないものと考えられる。しかし、より仔細に見るならば、遊びと真面目の対置はまだまだ本当に釣り合ったものでも確定したものでもないことは明らかだ。」「遊び」は真面目と不真面目の間にあり、むしろその対立概念を無効化する。それ自体が目的である「遊び」は、子供の行為として擬せられる。子供の象徴である無垢さ、純真さは、むしろ崇高な行為として神に直結している。真面目か不真面目をしている意識には、人間の本性は宿ら2019/08/24
ころこ
38
遊びを裁判、戦争、知識、詩などと比較してはいるが、副題のようには「遊び」が定義づけられている印象はない。私見だが「遊び」とは、合理性を追求する近代からみて、逸脱したものに対して近代的視座から理解しておきたい拘束から生まれているのではないか。戦いや合理的作業でも、それが自己目的化した場合は、遡行的に「遊び」となる。言葉の自己目的化は詩であるし、表現の自己目的化は芸術だ。文化自体が「遊び」ととらえられるのは、そう意図しない前近代的な活動の一般が、もっぱら合理性を目的としないからだ。著者が近代に倦み、中世に思い2023/07/13
塩崎ツトム
19
雑記。我々は本能に「遊び」が組み込まれていて、多分に三大欲求は性欲の代わりに「遊び欲」を入れるべきなんだろう。セックスなしでも死なないが、遊びが枯渇したとき、人は生きる意味を失う。生成AIの不愉快さ、それは生身がガチでやっている遊びを破壊する存在だからか?胃ろうしているから食欲は満たされているだろうと言われているのに等しいからだろう、多分。なぜルールや紳士協定、モラルが大事なのか? それは我々がホモ・ルーデンスだから。生真面目に遊びたいからだ。(つづく)2026/03/30
かんがく
7
法律、闘争、哲学、芸術、すべての文化の基盤には「遊び」がある。とにかく著者の知識の範囲が広すぎて感嘆。2022/04/15




