内容説明
「人間の文化は遊びにおいて、遊びとして、成立し、発展した」。歴史学、民族学、そして言語学を綜合した独自の研究は、人間活動の本質が遊びであり、文化の根源には遊びがあることを看破、さらに功利的行為が遊戯的行為を圧する近代社会の危うさに警鐘を鳴らす。「遊びの相の下に」人類の歴史の再構築を試みた不朽の古典をオランダ語版全集から完訳。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
42
「遊びは我々の意識にとっては真面目さに対立する。この対立は一応遊びの概念それ自体と同じく、他の概念に置きかえられないものと考えられる。しかし、より仔細に見るならば、遊びと真面目の対置はまだまだ本当に釣り合ったものでも確定したものでもないことは明らかだ。」「遊び」は真面目と不真面目の間にあり、むしろその対立概念を無効化する。それ自体が目的である「遊び」は、子供の行為として擬せられる。子供の象徴である無垢さ、純真さは、むしろ崇高な行為として神に直結している。真面目か不真面目をしている意識には、人間の本性は宿ら2019/08/24
ころこ
38
遊びを裁判、戦争、知識、詩などと比較してはいるが、副題のようには「遊び」が定義づけられている印象はない。私見だが「遊び」とは、合理性を追求する近代からみて、逸脱したものに対して近代的視座から理解しておきたい拘束から生まれているのではないか。戦いや合理的作業でも、それが自己目的化した場合は、遡行的に「遊び」となる。言葉の自己目的化は詩であるし、表現の自己目的化は芸術だ。文化自体が「遊び」ととらえられるのは、そう意図しない前近代的な活動の一般が、もっぱら合理性を目的としないからだ。著者が近代に倦み、中世に思い2023/07/13
かんがく
7
法律、闘争、哲学、芸術、すべての文化の基盤には「遊び」がある。とにかく著者の知識の範囲が広すぎて感嘆。2022/04/15
ちゅん
6
世界を俯瞰するやり方はあまたあれど、「遊び」の視点でやるのはこの本くらいではないでしょうか。「遊び」で人類の歴史を再構築するという名著です。「遊び」それは、自発的な行為もしくは業務であって、それはきちんと決まった時間と場所の限界の中で、自ら進んで受け入れ、かつ絶対的に義務付けられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的を持ち緊張と歓喜の感情に満たされ、ありきたりの生活とは違うもの。とのことです。すると、世の中の文化の多くは遊びの範疇になってしまうかもしれませんね。2018/05/16
袖崎いたる
3
ホイジンガは学部生の頃以来だ。一身上の都合で〈遊び〉はインストールしたいテーマだったもので、読む。文化の持つ遊びの要素を探りつつ、むしろ遊びこそ文化行為の源泉なのでは?という視点へと読者を運んでいってくれる。私たちにとっては遊びとマジメさとが対の観念としてはアクチュアルかもしれない。読んでいるさなか、仕事場での同僚の発言をこの本のフレームから観察できて楽しかった。即ち、仕事もまた遊びなのだが、その遊びを楽しむにはマジメさが要請され、次第に遊びに興じていたことを忘れ、マジメさはクソマジメさへと変容していく。2025/05/21
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