内容説明
ろくでなしの烙印を押された幼少期。太宰治にかぶれ、道化を演じた思春期。破綻した結婚・・・。話題の僧侶が、淋しさと不安に苛まれた半生と、坐禅瞑想との出会いを赤裸裸に語る。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
SOHSA
38
《図書館本》著者自身の半生、来し方を独白するように淡々と語られるエッセイ。ひとにはやはり一人ひとりの人生がある。それぞれの人生に正誤はない。今に至る一本の道をひたすら歩いてきただけだ。足下の道を踏みしめながら、噛みしめながら、ただ歩いていくだけだ。著者自身の人生の有り様は、或いは読み手にとって何の意味も成さないかもしれない。ただそこにあるということ、読み手の人生とは別の人生があったということ、そのことを受け取れただけで十分なのかもしれない。2020/07/27
ゆめ
22
奇行もひねくれ方もぶっ飛んでるけど、筋道が通ってるから納得できる。この著者は、何で自分がこうなってしまうのか?どうしてこういう言動をとってしまうのか?ということを1つひとつ紐解いて理解しようとしている。でもこれはできる人とできない人がいると思う。赤ん坊のときに親に置き去りにされてそれがトラウマになってしった著者のような人がいれば、そういうこともあるよねって感じで受け流せる人もいるのだろうから。結局その人の心の在り方次第で、どんなに素敵な人に出会えたとしても自分が変わらなければ同じことを繰り返すということ。2014/06/25
baboocon
19
著者・小池龍之介さんの過去の所業は断片的な知識としては知っていたが、改めて本書で読むと予想以上に酷かった。愛情に飢えてわがままし放題だった幼少期、他人の関心をひきたくて道化を演じた高校時代、支配欲に駆られ恋人を傷つけた青年期…。今の落ち着いた僧侶姿からは想像できない、著者のダメ人間ぶりの赤裸々な告白。その時々の心理を振り返りながら分析しているが、中には自分にも思い当たる心理状態もあり、余計身につまされる。坐禅瞑想によって立ち直った過程はもう少し詳しくてもよかった気がするが、それは別著に譲るということか。2012/06/28
白い駄洒落王
17
荒んでいたかこの著者の描写が、あたかも自分を見ているようでキツイ読書だった。 ポイントは、苦しみとは「我」という錯覚ゆえにある。 2014/02/02
moshi
15
「考えない練習」等、悩む人々へわかりやすい仏教関連の著書をだしている結構有名なお坊さんの半自伝。もうね、幼児期から29歳まで厨二病炸裂人生。本当に残念でめんどくさくて、みっともない奴の極み的な。現代版太宰治?本当に哀しい人だったわけだけど、ここまでさらけ出せたのがすごい。そして共感できる部分もある。「淋しい、認められたい」が年齢を追うごとにどういう形に変化していくのか、とても冷静な分析がされていて、勉強になります。自分を丸ごと認めるのは自分にしかできない仕事だとつくづく思う。2019/02/17