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内容説明
世界で最初に書かれた「松陰伝」の謎! なにが英国の文豪を感動させたのか? スティーヴンスン研究家である著者は、ある時、文豪の書いた1行に目が釘付けになった。そこには、彼がヨシダトラジロウの伝記を書いたと記されてあったからである。それはまだ日本国内には松陰の伝記が存在しなかった頃、すなわち世界で初めて書かれた「松陰伝」ということになる。スティーヴンスンはいつ、どこの誰から松陰のことを知ったのだろうか。イギリス人の彼は日本人・松陰のどこに心を揺さぶられて執筆したのか。そしてその内容とは……。アメリカ、スコットランド、日本――著者の謎解きの旅が始まった。
目次
序章 なぜ、世界最初の吉田松陰伝が英国で 1章 スティーヴンスン作『ヨシダ・トラジロウ』全訳 2章 誰が文豪に松陰のことを教えたのか 3章 どうして伝記は封印されていたのか 4章 松陰伝がサンフランシスコで執筆された理由 終章 スティーヴンスンが日本に残したもの
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
keroppi
76
酒井忠康「芸術の補助線」に、「宝島」「ジキル博士とハイド氏」のスティーブンスンが「吉田松陰伝」を書いたとの記述があり、興味が湧き調べたらこの本に出会った。スティーブンスンは、松下村塾で学んだ人物から吉田松陰のことを聞き文章にしたらしい。世界で最も古い「吉田松陰伝」である。この本にはその全訳も収められている。スティーブンスンの父と叔父は、灯台の設計をやっており、日本初の灯台にも関わっていた。松陰が密航に失敗した下田沖を照らしているのは、父たちが設計した灯台。不思議な縁が繫る。これだから読書は、やめられない。2021/06/11
くものすけ
9
宝島のスティーヴンンスンと吉田松陰の関連にはびっくり仰天! 下田、御前崎、犬吠埼などの灯台がスティーヴンスン灯台と聞きさらに驚いた。下田で捕らえられ、その足元を照らす灯台との因縁にも驚く。スティーヴンスンは人からのまた聞きにもかかわらず、吉田松陰の行動、人柄に感激して「吉田松陰伝」を書き上げたという...。伝わる「物」は伝わるのかもしれない。2019/11/30
BluePlanet
6
★★★★★2009年9月5日発行。「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」のスティーヴンスンと吉田松陰・・・全く接点がないと思われる二人が、偶然に偶然が重なり繋がっていたのですね。確かに著者はスティーヴンスンの研究家であったようですが、この文豪の書いた一行を手掛かりに、アメリカのモントレーからスコットランド、さらには西サモアまで調査し、二人の接点を紐解いていく。ここまで調べ上げた著者の執念もすごいですが、この二人の人物の周りの人間がどんどん繋がっていくという事実・・・推理小説を読み解くような面白さでした。2015/01/18
kaguyam
4
萩へ旅に出た時に見かけた一冊。だってほら、気になるじゃないですか。「宝島」のスティーヴンスンと吉田松陰の繋がりが見えないから。この二人がほぼ同時代の人であるとか知らなかった。話が広がりすぎてるし、スティーヴンスンを知らなければわかりづらい内容だったかと思われる。スティーヴンスン一族が日本と深く関わってたっていうのは面白かった。 彼は世間が言うところの、成功を得るために闘ったのではない。進歩を勝ち取るために闘ったのだ。2015/12/08
駄目男
4
一面識もないイギリスのスティーヴンスンが何故、松陰のことを知っていたのか? 小説「宝島」が生まれたのは1883年。 「ジキル博士とハイド氏」の完成は1886年。 しかしそれよりも早い1880年3月にスティーヴンスンは雑誌に『トラジロウ・ヨシダ』なる一文を掲載している。 来日したことすらない彼が松陰のことを知っていた理由は。 初めて知った事実、歴史は面白いですね。 2014/02/19