内容説明
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夢にも固有の歴史があった。夢を独自なうつつとして信じた「古代人」の文化と精神の構造のなかに、「忘れていた今」を想い起こす独創的な精神史。
目次
第1章 夢を信じた人々
第2章 夢殿
第3章 長谷寺の夢
第4章 黄泉の国と根の国
第5章 古代人の眼
第6章 蜻蛉日記、更級日記、源氏物語のこと
補論(夢を買う話
夢あわせ)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
南北
47
「夢のお告げ」などと言うと現代人は胡散臭く感じてしまうものだが、古代の人たちはそうではなかったようだ。身体は魂の器だと考えられていたという話の中で和泉式部の「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る」という和歌が出てきたときはちょっとぞわっとした。また須佐之男命が須勢理姫といる「根の堅州国」の境界も黄泉の国と同じく黄泉平坂だという指摘に始まり、夢と関わっている点が指摘されていて興味深く感じた。夢が神仏からの通信だとする古代人の考えの一端に接することができたのはよかったと思う。2022/12/21
三柴ゆよし
9
「古代人」が夢をどのように捉えていたのかを明らかにすることで、彼らの文化ないしは精神構造の一端を垣間見ようとする試み。ここで著者の規定する「古代人」とは、社会科的な歴史区分によるものではない。夢をもうひとつの「うつつ」と信じて、古代や宗教、日々の生活のなかで夢がきわめて大きな存在感を占めていた時代の人たちを指す。法隆寺の夢殿、黄泉の国と根の国、隠国、夢あわせといった事象の構造を徐々に解き明かしていく過程には興奮を覚えた。蓋し名著である。2009/10/22
ウォーカージョン
8
夢に関する仮説というかそれ以前の考えか。論文というより文学的。例文に古典の文章が解説なしで出てきたりするので読むのが大変。源氏を注釈抜きで読むのに苦労した。平安時代が夢の転換期というが、平安時代には公的文書ばかりでなく私的文書、日記、小説などが飛躍的に増えるので、夢に対する私的な考え方が記録に残るようになっただけかもしれないぞ。2019/05/18
うえ
4
「太陽崇拝なるものを、原始以来、農耕社会に固有な、しかもきわめて重大な信仰であったかのごとく見すぎる嫌いがある…しかし太陽崇拝を直接表現している農耕儀礼が、たとえば日本においてもないという事実が何を意味するかは、やはり一考に価する。中国には「天」の崇拝はあるが、太陽崇拝の影はうすい。…農耕社会の崇拝はおもに雨と水、水源としての山に向けられていたのであって、必ずしも太陽に向けられてはいなかった。エジプトとかインカとかを見るならば、太陽崇拝なるものが肥大化する過程は…王制の独自な発展と結びついていた」2024/04/01
りょく
4
古くは「夢寐(イメ)」と呼ばれた夢は、「うつつ」に強烈に印象づけられるものでもあった。古代夢は儀式的に得られるものであり、マツリゴトと密接した関係にあったが、やがて個人的なものへと変化し、平安中後期にはその力が疑われるようになる。それでも人々は夢解きにどきどきはらはらさせられた。夢告は実現するまでその真偽がわからないのだから。 面白かったのは、補論「夢を買う話」「夢あわせ」。夢の所有(?)権が移ることで夢告の対象を移すことができる。また、判じ方によって夢の吉凶が変わる。2022/07/22