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内容説明
遊行、踊念仏、陣僧、芸能者の阿弥陀……中世に巨大な影響力をもった時衆と一遍の思想。その本体を浄土教の歴史の中に位置づけて探る。信をも捨てて念仏へと向かう他力思想。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ホシ
13
一遍の本をしっかり読んだのは、これが初めて。真宗が「理屈っぽい」のに対し、時宗は「神秘主義的」という印象を持った。親鸞も一遍も「他力で救われる」点は共通する。2人の違いは唯円の質問を考えれば分かりやすいか?唯円「念仏しても踊躍する気持ちが起きません。早く浄土に行きたいとも思いません。これは、どうした事でしょうか?」/親鸞「そういう者を救うと誓ったのが阿彌陀佛だよ。」/一遍「人間がああだ、こうだ考える必要はないよ。」2017/10/16
月をみるもの
6
読みにくい。聖絵を見に行ったほうが、なんぼかわかりやすい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%81%8D%E8%81%96%E7%B5%B52017/10/09
Hiroshi
5
時宗の住職が書いた本。清浄光寺(遊行寺)に行くので読んだ。時宗は、宗祖が一遍上人であり、踊り念仏が有名だ。来年は二祖真教(他阿)上人の700年忌でもある。仏教は、「信じる」だけのキリスト教・イスラム教とは違い「修行」が必要だ。だが、念仏系の真宗と時宗では「称名」だけで良いという。インドで生まれた仏教は、紀元頃に大乗仏教ができ、中国に伝播した。善導が中国浄土教を大成した。中国仏教の主流ではない。「凡夫が阿弥陀仏の浄土に生まれることができる」という教えだ。阿弥陀仏は「心の中」にあるのではなく、「実在」すると。2018/09/23
Э0!P!
1
鳩摩羅什「浄土」、謝霊運「極楽を浄土と呼ぶ」。念仏はあくまで死者のためのもので初めは不吉なものだった。それが浄土教のもとで重要な修行として位置を高められる。(当時は異端扱い)。浄土教が念仏には心を込める必要があると唱えたのに対し、一遍は、単に唱えさえすればよいと主張した。極めてラディカルなこの教えは、万人が阿弥陀によって救われるはずだ、という信仰が基礎になっている。そこに善悪はない。ある者が念仏を唱えるのは阿弥陀がそう願ったからなのであり、阿弥陀に選ばれた、ということなのだ。極めて強力でカルト的な人類愛。2022/03/28
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