内容説明
現代日本文学最高峰の作家は、時代に何を感じ、人の顔に何を読み、そして自身の創作をどう深めてきたのか――。老年と幼年、魂の往復から滲む深遠なる思索。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
keroppi
66
昨年2月に82歳で亡くなられた古井由吉さん。まだ、小説は少ししか読んでいないのだが、図書館に置かれていたこの本に手が伸びた。「半自叙伝」と題されているのは、いわゆる自叙伝ではないということだろう。過去の記憶が蘇り、それは今の時代とも響き合う。東日本大震災を「幼年と老年の間を魂が往復しそうなほどの長さにわたって揺れ続けた。」という感性に惹かれてしまう。もう少し小説も読んでみたい。2021/01/21
やいっち
58
優れた作家の自叙伝。作家の悪戦苦闘ぶりがひしひしと感じられた。だが、読む順番を間違えた。吾輩はまだ、古井由吉の作品をわずかしか読んでいない。もっといろんな作品を読んでから再読、味読したい。2020/04/02
Bartleby
16
古井由吉のあの身体感覚を細密に言語化した文章はどこから出てくるのだろうと、『沓子』を読んで衝撃を受けて以来、気になっていた。それは作者が登山を好み、よく体を動かすからだろうと思っていたが、本書に詳しいように、眼や頚椎をよく壊したからというのもありそうだ。一所にじっととどまることでしか見えないものがある。対して幼い頃に空襲から逃げ回った経験。彼の小説はいつも、動は静であり静は動であるという命題に貫かれている。そしてその両極はともに、狂気を招き寄せるおそろしい予感に満ち満ちている。2023/06/01
ゆとにー
7
文章の端々に常に戦災の影が潜んでいる。一応自叙伝である中にも人の訃報の記述が殊の外多く現れるのも、非常時が口を開ける時としてそこへ通じるからなのではないか。危機の訪れる喧騒と不安、その中での気怠さ、終わってまた元の日常に戻ろうとするあっけなさへの訝りは、直接戦火に脅かされた点を除けばコロナを経験した今なら素直に了解できる。非日常を消化しきれないまま反芻して日常が続いた結果、老いていくのだとすると、老いについて考えることは絡まりあった時間の受け止め方を探ることでもあったりするのだろうか。2024/09/07
kri
7
古井由吉を敬愛してやまない小説家達が多くいて、その訳の一端でも掴めたら…と手始めに。相当の昔に作品を読んだ時は自分のリズムに合わず、頓挫した。自分の経た年月が多少でも理解力の肥やしになったのか、この作品には没頭。実は訃報で拝見した顔写真の意外に愛嬌ある笑顔がきっかけでもある。この「半自叙伝」にも底に流れるユーモアがある。深く自分を見詰める真摯さと隣り合わせに自分を俯瞰して笑いとばせる余裕を感じた。生死の極限的状況をくぐり抜けた戦時下での幼年体験が常に根本にあり、それ故の達観なのだろうか。次は小説を読む2020/03/05