内容説明
実存主義哲学者としてはもちろん「左翼」の精神的支柱として有名な著者による、待望の新刊。サルトルが1961年の12月にローマのグラムシ研究所で行なった講演(「マルクス主義と主体性」)がついに刊行された。フランス語では長らく未刊であったが、講演のみならず、その後の討議録もあわせて収録(フレドリック・ジェイムソンによる巻末の解説も秀逸)。サルトルは、1940年代の後半に『存在と無』にもとづいて具体的倫理学を構想したものの、頓挫し、その草稿は『倫理学ノート』の形で残された。一方、1960年に刊行された『弁証法的理性批判』第一巻における歴史や社会に関する基礎的考察を経て、1960年代に入って構想されたのが「第二の倫理学」であり、『主体性とは何か』は、その序論部分に相当するものといえる。マルクス主義においては客観性が重視され、主体性が蔑ろにされがちだが、各人の行為において重要なのは「主体性の問題」であるというのがサルトルの基本的スタンスであり、本書では、仮想敵としてルカーチをとりあげてゆく――。マルクス主義哲学からバタイユやドゥルーズの問題系へとつながる、主体性をめぐる幻の講演録!
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
田舎暮らしの渡り鳥
4
「普遍的なものは個性的である」「人間は歴史的産物である」2019/09/25
一郎二郎
2
サルトルにとって、主体性とは、人は生きているという事。人はそれであるところ、自分が社会においてあるところを生きる。どんな個人も全体的な社会の受肉である。良い小説は社会を客観的に描くのではなく、主人公が矛盾を抱えたまま葛藤している様を描く。それに似て、人は非知=知らない事を抱えたまま矛盾葛藤して生きている。そして、社会の中で徐々に自分を知っていく。人は混乱や矛盾を統合して生きている。主体性とは、そういう活動の事だ。主意主義的に捉えられがちなサルトルだが、自らを客観視し対象にしてしまう現代人こそ実は主意主義。2022/11/13
左手爆弾
1
客観的で科学的であろうとする限りで、マルクス主義には主体性が必要なのであろうか。この問いの明晰さと重要性は明らかなのだが、サルトルの回答はそれほど明晰ではない。「認識」がひとつの鍵になっていることは明らかなのだが、もはやレヴィ=ストロースの批判も出てた時期で(それに回答しようとしている箇所もある)切れ味が弱くなるのも仕方ないのだろうか。2017/05/24