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内容説明
1953年、19歳の明仁皇太子は大戦の遺恨が残る欧州を訪れた。各国王室との交流、市民や在外日本人との対話、戦没者の慰霊……。両陛下の振る舞いやおことばから、根底にある思いにせまり、皇室外交が果たしてきた役割を明らかにする。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Willie the Wildcat
73
直接・間接的な縛りの中での「自己」の確立。大戦を踏まえた天皇像。文献ではなく肌で感じた”温度”の集大成が、生前退位という感。平成天皇のお言葉、”終焉”に垣間見る一貫性と持続性。文字通り体現したのが慰霊。転機は、もれなく1953年の欧米訪問。(政治的理由の有無は別として)特にチャーチル首相の行動力が光る。一方で残念なのが、同行した日本の新聞社のお粗末な対応。そして、触れざるを得ないのが『靖国問題』。主要国唯一の例外と言っても過言ではない来日元首の”慰霊”。いつまでも問題先送りでいいのだろうか。2019/05/20
ぶんこ
48
皇室に興味がなかった私が、読み終わった今は感謝と尊敬の念で一杯になりました。殆どの海外への旅が「慰霊」と「国民のため」の旅と言っていいような、ある意味過酷な旅だったのだと知りました。。自国の歴史を子どもたちに教える必要性を考えさせられました。過去の汚点とも呼ぶべき歴史も知らしめないと、真の相互理解は成り立たない。オランダ、イギリスの捕虜たちの日本への根深い恨み。「戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」と年頭所感で言及された天皇の思いをかみしめています。2018/07/27
Kentaro
39
宮中晩餐会は、フランス料理にフランスワインと決まっている。 日本が明治維新を遂げた19世紀後半、ヨーロッパの外交儀礼はフランスを範とし、饗宴もフランス料理を正餐としていたことに由来する。 驚かされるのは明治維新後、皇室がフランス料理を饗宴料理として取り込んでいくスピードである。 『明治天皇紀』によると1872年1月、当時の宮内省は天皇の食事に「獣肉」を解禁することを内膳司(厨房部門)に通知した。これによって肉料理が天皇の日常の食卓に上るようになるが、これはきたる外交饗宴に備える意味もあったと思われる。 2019/10/27
ごへいもち
35
天皇・皇后として海外に行かれることのあまりにも重い責務を知るともっと早く退位されることができたらよかったのにと思う。上皇后の国際情勢への鋭い把握力に驚いたりシラク大統領が訪日50回以上の親日家だった等、知らなかった事が多かった2019/07/13
りらこ
24
皇室外交というと宮内庁的には、外交はいたしておりませんということになる。それは憲法にも明確だ。上皇、上皇后による国際親善。そこには生まれついて背負わざるを得ない昭和から続いている歴史に対しての、立場からくる責任と昇華のための仕事という面が大きいことがこの本によって判る。その責任を果たす覚悟でずっと活動されてきたのだ。それから著者は慰霊の非対称性について、解決すべき問題として提議されている。何年も前に読んだ『エリゼ宮の食卓』が良書だったがこの本も良い。元号を一切使わないのでどの天皇なのか時々混乱する私。2021/01/02