内容説明
死を目前にした人は最後に何を望むのか。そして死にゆく大切な人のために、私たちには何ができるのか――。本書は、仏教の僧侶とキリスト教のシスターという異なる宗教に立脚する二人が、正面から「死」と向き合い、「生」を充実させるための智恵を存分に語り合う。「死」を「生」からの“突然の断絶”と捉えるのではなく、徐々に進行する連続したものとして、その“受容と変容”へのプロセスを浮かび上がらせた――『あの世とこの世を行き来する』。二人の宗教家が、それぞれ禅の道、修道者への道に入るきっかけを明かした――『迷いも悩みも必要だった』。人は亡くなる直前に温かい大きな思いが広がり、すべてを許し合おうとする最後の別れのエピソードを描いた――『仲良し時間が訪れる』など、泣いて笑ってやさしくなれる“宗教と人生”の感動的入門書だ。あなたの前に訪れるものに、無駄も偶然もない。すべては生を深めるためにあることに気づく一冊。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
さきん
28
仏教とキリスト教の対話。仏教側は、禅宗が軸の僧侶、キリスト教側は、フランス修道会のシスター。いわゆる宗教における神は信じていないが、この対談を通して、死や生、修行に対してどのような捉え方をしているか色々とわかって勉強になった。対談は、知識を有機的に繋げ、整理されるので、結構ためになる。2016/12/07
かず
12
玄侑宗久さんは禅宗の僧侶であり芥川賞作家。鈴木秀子さんはキリスト教のシスターで日本にエニアグラムを紹介した方。このお二人がそれぞれの立場から語り合います。お二人とも互いの宗教のことをよくご存じな方々なので、対立することはなく、芯のところでは一致しているという印象を受けました。何かを求めているうちは幸せにはなれません。自分に与えられたもの(下されたもの)に満足し、感謝する、そしてその思いを返していく、それができれば十分なのだと思いました。人生、死ぬ時が最高の時なのだと思い定め、坂を上っていきたいと思います。2017/08/27
Jacard
1
自分や誰かの死について、前もって考えておいた方がいいのかな。いざという時に、向き合うか逃避するか、どっちが楽だろう。仮に病院で最期を迎えるとして、そこで一緒に宗教的なサポートがあってもいいなーとは思えた。押し付けじゃない程度にね。/「臨死体験」って真面目に語られている。こういうこと言う人を否定したって何にもならない。思い込みだってそれが救いになるのなら肯定すべきだと思うんだけど。んーまだ共感はできない。2020/08/11
cocolate
1
「天鈞」という考え方に気付かされた。最後の源泉を読んで涙だあふれてしまった。2013/07/14
めいめい
0
3カ所ぐらい泣きました2014/01/13