内容説明
「則天去私」「低回趣味」などの符牒から離れ、神話的肖像を脱し、「きわめて物質的な言葉の実践家」へと捉えなおしてまったく新しい漱石像を提示した、画期的文芸評論。
目次
序章 読むことと不意撃ち
第一章 横たわる漱石
第二章 鏡と反復
第三章 報告者漱石
第四章 近さの誘惑
第五章 劈痕と遠さ
第六章 明暗の翳り
第七章 雨と遭遇の予兆
第八章 濡れた風景
第九章 縦の構図
第十章 『三四郎』を読む
終章 漱石的「作品」
単行本あとがき
著者から読者へ
年譜
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
風に吹かれて
22
嫂とどうだったとか胃弱だったとか、そういう漱石の影を払拭し漱石の名さえ念頭から振り払い作品の表層に現れているもののみから「漱石的」作品を読む。苦沙弥先生や広田先生は昼寝をし、津田は療養生活で横になり、先生と「私」は海で仰臥する。そこでは様々な会話や仕草が行われ、妻や妹やらがやってきて様々に、いってみれば、挑発する。また『抗夫』『二百十日』『草枕』で漱石的「存在」は粒子の層のような雨で覆われ、『彼岸過迄』でも雨は物語が動く際の重要表層だ。雨は他の作品でも降っている。『行人』の大雨が有名な場面を現出させる。➡2021/03/01
Ecriture
14
伝記・社会背景・批評史といった重みや深みに縛られるあまり、夏目漱石の偶像を信奉することになった先人たちをひらりと躱し、「横臥」・「鏡」・「水」などの細部(それはテーマ批評ですらない表層の戯れである)に漱石的「作品」や漱石的「存在」を見出していく。漱石を本当に読みたいのなら、漱石ではない漱石的「作品」を、読者自身も自分ではない何者かに変化しつつ、これまでに辿り着いたことのないどこでもない場所にて読まなければならない。それが漱石を、その果てに自分自身を「不意打ち」するということ。2013/12/19
koke
10
「『それから』とは、赤さと青さの葛藤に耐えんとする一つの頭脳の物語である」との指摘に愕然とした。読むとは言葉そのものを読むことに決まっている、という著者の指摘は謙虚に受け止めないといけない。しかし絶対視はしないつもりだ。著者は漱石の小説を全て読みそれに対する評論も読み、いい加減普通の読みに飽き飽きしたから異端の読みに徹しているのだろう。そういうステップを飛ばして著者を真似ても無知をさらすだけなのは目に見えている。2024/07/14
しゅん
10
再読。なのだが、途中で飽きてしまった。動作に劇を演じさせるという構造があからさまだからだろうか。というか、蓮實重彦の批評はすべて動詞をキャラクターへと変貌させた「群像劇」だ。すでに指摘している人も多く見受けられるが、日本小説においてこの型を適応させると、どこか伸び伸びとした力動を欠くこととなる。映画とフランス小説だと俄然いけるのに。なんでだろ。年表が一番面白い。2020/09/01
swshght
9
本書は78年に書かれた。『表層批評宣言』はこの翌年だ。だが、蓮實はこの『夏目漱石論』ですでに「表層批評」を実践している。それは「声明」じみた序章に表れている。「漱石をそしらぬ顔でやりすごすこと」。「漱石と呼ばれる人影との遭遇をひたすら回避すること」。漱石にまとわりつく時代背景や思想。蓮實はそうしたものから「遠く離れて」、記号の戯れと言葉の磁場によって形成される表層へと接近し、主題論的統一と説話的機能を浮上させる。そこには極めてラディカルな意志が感じられる。方法の徹底ぶりと容赦ない文体の勢いに圧倒される。2013/10/29
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