内容説明
明治43年8月24日水曜日。漱石44歳、修善寺の大患の大吐血。意識の闇のなかで育英館開化中学の職員室が現われ、あの三四郎が活躍し、マドンナがほほえむ。劇作の魔術師が描く笑いと思索、そして透明感いっぱいの夏目漱石。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
278
漱石44歳。いわゆる修善寺の大患前後を描く戯曲。血を吐くプロローグに始まり、朦朧とした中での4つの幻想場面。そして、生き永らえたエピローグまで。全篇これ漱石作品へのオマージュである。『坊ちゃん』、『三四郎』、『それから』、『こころ』etc。ただ、井上芝居にしては笑いと哀しみのペーソスには乏しい。つまり、この作品では観客や読者の「情」に訴えるのではなく、知的な部分での楽しみを共有しようというものである。舞台で見れば面白いだろうとは思うが、再演、再再演を見るだろうかと、やや心配になるような作品である。2016/12/04
よし
8
何とも不思議で、それでいて「漱石的世界」が表れている。「坊ちゃん」のおっちゃん「三四郎」の友人?賢吉、「こころ」の先生・・などなど。校長先生が妻の鏡子の二役には、笑ってしまう。修善寺の大患での生死をさ迷う漱石。彼の見た夢は透明感に満ちた世界。そこには、漱石作品の登場人物たちがデフォルメした形で躍動する。井上ひさしの面目躍如といえる。2016/05/29
sohya_irej
1
「大吐血の直後から三十分間の、世にいう「三十分の死」のあいだに、漱石の意識下に見え隠れしていたと思われる「特別誂えの時間」の切れ端」(本書内注より)校長先生の正体に笑ってしまった。2012/03/16