内容説明
脱政治化が進む日本において、吉本隆明や工藤淳らによって担われた戦後は特殊日本的なものとして急速に色褪せてきている。一方で「巨人」たちの時代の終焉を見届けた柄谷行人以降、戦後の思想空間は変容しつつも漸く普遍性へ向かって解き放たれつつある。そこにはどのような継続と変化が潜んでいたのか。「戦争と革命」という二十世紀的な主題が「テロリズムとグローバリズム(への対抗運動)」として再帰しつつある今日、「未来の他者」をキーワードに戦後七十年の思潮を再検証する。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
浅香山三郎
14
「未来の他者」をキーワードに、戦後の思想家らを総括してゐる。著者の世代的な感覚とも関連してゐるのだらうが、吉本隆明に厳しく(第一章)、また大西巨人の晩年の変容に失望する(第三章)一方、柄谷・大澤・上野の三氏のスタンスには理解を示す。そのせいか、本書の各章の肌触りはまちまちだが、第五章「大澤真幸と上野千鶴子―「未来の他者」と「おひとりさま」―」が、大澤や上野の視角の展開の可能性を提示する鋭敏な指摘である。2019/10/12
えも
14
3.11を敗戦以来の社会と思想の枠組みの節目と捉える著者が、「戦争と革命」という二十世紀的な主題と、近年の「テロリズムとグローバリズム」の主題とをある種同列に扱い、前段の巨人として吉本隆明、江藤淳、埴谷雄高、大西巨人を論じ、後段の旗手として柄谷行人、大澤真幸、上野千鶴子を論じている▼近頃こういった本は読んでなかったので、時間がかかった▼吉本と埴谷をけちょんけちょんに切って捨てているのに対し、江藤に対しては愛を感じるのが面白い2019/01/11
hasegawa noboru
1
吉本隆明、江藤淳、埴谷雄高と大西巨人。柄谷行人、大澤真幸と上野千鶴子。これらの文学者思想家が〈同じ土俵に乗せて論じられ〉ている。震災、原発事故を第二の「敗戦」だと捉える真摯な視点が筆者にあるからだ。戦後七十年の今日どころではない。四年前の3・11を大方の日本人はもう忘れて久しい。川内原発が再稼働し始めた。昨日は昨日、今日は今日。明日の他者に今の我々はどう顔向けできるというのだろうか。戦争の死者たちにとって、今の我々は「未来の他者」であるはずなのに。2015/08/14
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