内容説明
どうして自分だけが私なのか、そして他人は私ではないのか。
生み出される意識のうちの一つが、なぜ現実に感じられる私の意識なのか。
なぜ意識できる意識は一つしかなく、意識できない意識が無数にあるのか。
科学的にも宗教的にも説明が到達不可能な哲学上の難問に、
古今東西の哲学者たちの思想を問い直しながら挑む。
〈私〉の精神を〈私〉から他者に移動させてみる、
あるいは時間を〈今〉から過去に移動させてみる、
あるいは〈私〉の自我を2つに分裂させてみるといった思考実験によって
「存在と時間」の深遠を探る哲学の旅。
「文學界」連載「哲学探究――存在と意味――」に大幅な加筆修正をほどこし刊行。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
へくとぱすかる
38
時間がかかった。しかし読了! 誰しも一度くらいは考えそうな、しかし青山氏の言う通り、やはり世界で初めての論考じゃないだろうか。似たような話を知らない。「語り得ぬもの」を無理に語っている感じが濃厚だが、「私」といい「今」といい、なぜか端的にこれがただひとつあるのに、語ろうとすれば汎化されてしまう。それでいて、その端的さは消えない。それこそ出発点なのに終着点でもあるんだなぁ。2016/05/04
ころこ
33
第1部は従来の議論をカント原理とライプニッツ原理に綺麗に分けて説明しています。65ページにあるデカルトの説明に今更ながら気付かされたことがありました。第1部で書かれていたことの要約は、9章にあるプラトンとアリストテレスの対立を探究のパラドックスという表現で第1部を締めくくっていることに集約されています。第2部の14章で行われた新たな議論とは、257ページのことのようです。<今>性を維持したまま<今>が動くということのようです。簡単に書けば身も蓋も無い議論ですが、少なくとも<私>は動かないので、<今>のまま2019/02/16
テツ
25
噛み砕き咀嚼し少しずつ読み進めたけれど難しかった。『私』と『今』という小学生でも知っている言葉なのにその意味を説明しろと言われたら大抵の大人が挫折すると思う。難しいけれど理解はしている(と信じてしまっている)ことを言語化する途中で、理解していた筈の事柄が淡雪のように溶けて消えていってしまう感覚。そして疑うことすらなかった既存の概念への疑問と新しい驚き。世界は知ろうとすればするほどに深く広くなっていく。近いうちに再読したいです。2017/03/05
ナハチガル
9
「ある種の読者を念頭においてスタートしたにもかかわらず、途中から読者のことなどまったく考えない『孤独な闘い』に陥った。読み取ってくれた方が一人でもいたなら有難いというほかはない」この「途中から」というのがはっきり分かるくらい、途中から訳が分からなくなってしまったが、歯を食いしばってなんとか最後まで読んだ。こういう本に出会い、僅かとはいえ著者の考えているらしきことを読み取ることが出来た(?)のは、望外の喜びだ。私が私として今を生きている、これは本当に驚くべきことだ。父さん母さん、産んでくれてありがとう!S。2018/10/18
けんた
7
〈私〉と〈今〉の問題について徹底的に議論されています。いい加減にしろ!と言いたくなるぐらいです。2015年に書かれた原稿だそうでまだ新しいですが、何年かしたら世界的にもこの手の本の決定版になってたりするんじゃなかろうか?と思ったりします。2016/08/07