内容説明
「自同律の不快」って、いったい何だ!? 難解であることで有名な小説『死霊』の哲学を、しなやかな文章で、明解に解きほぐす快著が、待望の文庫化。話題を集めた「再発見 日本の哲学」の一冊であり、埴谷雄高の世界があざやかに分かる一冊。(講談社学術文庫)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しんすけ
7
複素数は現実にはあり得ない数である。だが複素数を欠いては近代以降の科学は成立しない。埴谷雄高はカントが有り得ないとしたものに立ち返ることで現実を語ろうしたのでないだろうか。熊野純彦が『死霊』を評して/カントが広義の誤謬推理の出発点として拒否した原則を、埴谷雄高は「未出現の宇宙」をみるためにとり上げ/たと語る根拠はここにあるのだろう。以前、『死霊』の感想を記述した際に埴谷雄高のカント理解を疑わしく思ったのも、これが原因ではないだろうか。2018/07/28
Happy Like a Honeybee
7
奴は敵である。奴を殺せ。いかなる指導者もそれ以上卓抜なことは言えなかった…。埴谷雄高の作品に隠された言葉を、熊野氏が解説する内容。カントの最高存在者の理想、神をめぐる諸問題。熱烈な革命家と似非非革命家。死霊という作品が、全体的に霧がかった理由も。2016/07/30
たんかともま
2
存在したのに存在させられなくなった無出現に似たもの、という言葉で『死霊』は戦後文学であり、政治文学でもあり、形而上文学なのだと再確認した。引用が多く、詳しい解説つきで再読しているような心地になる。カントの思想は思っていたほど多くは触れられず、読み解くヒントとして活用している印象。また、そういった思想の根底に夢が用いられていることもよくわかった。可能性という言葉も頻出し、埴谷雄高が現実を基盤としない理由もそこにあるのだろう。夢と虹が重力から逃れているという考えも面白い。本筋とは異なるが情景描写も面白かった。2019/10/18
kyakunon22
1
本書の末尾には、著者が自身の歩みを振り返る一節がある。曰く、二十代から三十代はドイツ哲学の研究に明け暮れ、四十代はレヴィナスに始まり廣松を論じ、そして埴谷に至った、と。つまり、ドイツ哲学→フランス哲学→日本哲学→日本文学…というキャリアを、熊野純彦先生自身は歩んできたことになる。キャリアの円熟期に漸く論じられた埴谷雄高は、しかしながら、熊野先生の読書体験の根底にあるもののひとつのようである。『レヴィナス』において論じられる「死者との倫理」というテーマが、既に埴谷の読書体験から得られていることは興味深い。2020/01/17
check mate
1
難解。2019/06/03