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内容説明
著者は、常に臨床の現場に身をおきながら精神病理学と哲学を往還する独創的な学問的地平を切り拓いてきた。症例分析を通じて「もの/こと」や「あいだ」といった柔軟かつ強靱な概念装置を創出し、独自の自己論、時間論を展開、その思索は生命の根拠の探究へと旋回する。「からだ」と「こころ」はどのように関係しあっているのか。「生きる」とは、そして「死」とは? 木村生命論の内実と射程を雄弁に語る好著。解説:野家啓一 (講談社学術文庫)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
紫羊
16
多感な頃に著者の離人症についての文章を読む機会があり、患者というより人間や生命全般への優しさを感じた。この作品は講演録。慌ただしく読んだせいか消化しきれていない。要再読。2022/07/17
さえきかずひこ
13
1996年秋に開かれた講演2つを収める本書は、薄いがとても読みごたえがあり、読者を触発する力がある。著者は医学と医療の両面に深く関わりあう立場から、デカルト以来の心身二元論を批判的にとらえ、有機体が環境との境界を生きており、生きもの(living thing)と生きていること(living)の差異を、ハイデガーの存在と存在者の差異への認識になぞらえている。巻末の15ページ余の解説は、著者と交流のある野家啓一で、木村の代表的著作に触れながらその思想の変遷を手堅く辿っており、ブックガイドとしても有用であろう。2019/03/17
弥勒
12
主体/主観が客体/客観としばしば主客二元論として論じられるのに対して、ここではその惰性的な二元論を越えたところで論を展開してをり、読むでゐて飽きなかった。また、<「生きる」ということは、生きものがそれ自身と環境世界との境界であることを意味>し、死ぬとはその境界が失われることを意味してゐるといふ見方はすごく面白い見方であつて、死が全体への回帰といふ考へと根底で繋がるように思ふ。最近、科学で医学的な発展が人を救ふように言はれているが、生のアクチュアリティがそれによつて失はれてゐることに気づいてゐるのだろうか?2015/11/18
ゆとにー
8
主体を、主体と環境の接触する境界におく。「AはAと非Aとのあいだ、差異にある」という非アリストテレス的論理を登場させることで、「生きるもの」でなく「生きていること」として主体/主観を構築する。この間主観的な位相は、アクチュアリティの位相、生命そのものの位相であり、心身二元論の陥る隘路から抜け出ることを企てたものである。2018/11/21
tolucky1962
8
精神科医師でもある著者。生命は「もの」でなく「こと」。こころは環境との境界で他との接触(相即)。動物の群れから、個と集団の意思の関係を考察。2重の主体性をとらえる。十分理解できている自信はないが、世界について別の見方をさせてくれそう。情報(ことば)についてだけでなく、からだを含めて考えているのも興味深い。医師だからこそできる考察なのか。個人が個人を主張しながら、場の空気を逃れられないことの理由なのでしょうか。もう少し理解できるように読み直したい。2015/12/20