内容説明
動けないし、しゃべれないし、もう私のことはわからないのだけれど……日本のどこかで暮らすごく普通の人がもらしたささやき。ひとりで泣くこともある、あなたに贈る、13人の胸のうちを綴った掌編小説集。
※本書は二〇〇九年六月に刊行された単行本『もう私のことはわからないのだけれど』(日経BP社)を改題し、加筆・修正の上、文庫化したものが底本です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
新地学@児童書病発動中
117
介護をしている人たちの声を作者が真摯に受け止めて出来上がった短編集。涙なしでは読めなかった。実際に話を聞いた人たちの語りをできるだけ生かそうとしている作者の姿勢が本当に素晴らしい。例えば、鹿児島の人の話では「うんまかなりもした」(黒豆づくりがうまくなりました)と、鹿児島弁が話の中で生かされている。文句ばかり言われていた義母に、こんな風に褒められたらうれしいだろう。介護を通して嫁と姑の距離が縮まったようだ。最後の男性の「元気出してよ」というエールに励まされた。2018/05/21
shizuka
62
耳を傾けることしかできない。慰めや同感や励ましなんて意味がない。だって私は介護していないから。だから耳を傾けることしかできない。いま当事者である多くの人たちのささやきに。吐き出して吐き出して少しでも楽になるなら、その毒は私が吸い取る。一瞬でも楽になるなら、私が毒をあびることくらいどうってことない。あなたの介護は明日も続くけれど、私には何もないもの。憂うことなど。姫野さん、この本は介護者とその他大勢へ、一石を投じる一冊になったと思います。本に役割があるとするなら、この本こそがその役割を担っていると思います。2017/03/02
ワニニ
42
読了日、義母80才の誕生日。まだまだピンピン元気な義母だが、今後もし何かあったら、嫁の私が介護の中心になることは否めない。テーマは介護だけれど、「ちょっと聞いて」という感じに綴られる。詩的でもある。生い立ちや家庭、介護には、1人1人の様々な事情があるわけで…でも、少し話すだけ、聞いて貰うだけで、一時こころが休まることもある、と。しかし、物理的にも精神的にもあまりにも辛い状況をサバサバ語られるのも、苦しい。空しく悲しく、堪らない気持ちになる。何とか出来ないのか?出来ないんだよね。自分の甘さも嫌になる。 2016/10/02
金吾
30
大っぴらには口にしにくい心の葛藤を感じます。「介護が長いっていうのはね、ゆっくり挨拶できるチャンスなんだ」という言葉は、自分の家族のことも思い出し心に来る部分もありました。「ぱたぱた」「三十六年」が良かったです。2023/11/10
アナクマ
28
介護するひとの思いと、周囲との齟齬(その差分を受けとめられること、共鳴されることで生まれる救いについて)。事実をもとに創作した告白文。掌編集。◉週3日介護、週4日バイト。そのような学友がいなかった私は本書の「外側」。そして今もまだ(いずれは内側に)◉ささやきを聴き取れる者でありたいし、尚且つ、潰れない弾力を持ちつつ自らもささやける者になりたい。では、ケア力(りょく)や、レジリエンスの育て方とは。これも、科学・哲学・神学、総動員であたる重要な仕事になりますね。2020/01/03
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