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内容説明
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平成十年代なかば――二十一世紀に入って四、五年の頃から落語ブームといわれる現象が起きた。古今亭志ん朝の早過ぎた死への嘆きの中に発生した現象というのは皮肉の極みだが、そのブームの中でしきりに「昭和の名人」の看板が目につく。さまざまな出版刊行物にとって重宝な看板には違いないが、そこに書かれた名前が三か五ならともかく、十、二十を超えるとなると、それは志ん朝が言った「名人」とは別物だと思わざるを得ない。正真正銘の名人と看板だけの名人は違うということなのか。名人とは観光ブームの中の名所旧跡のようなものなのか。名人が簡単に量産されて「名人ブーム」になっては見分けがつかない。「名人」とは誰のことなのだ――。〈本書より〉
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
zag2
32
京須偕充さんによる「落語名人論」。噺家に名人と呼ばれる人が出てきたのはいつからなのか、誰が名人と呼ばれたのか、これから名人はどうなっていくのか、など長年落語に関わりを持ってきた京須さんならではの考えが、名人あるいはそれに準ずると目される噺家の様々なエピソードを交えながら語られています。BS-TBSの「落語研究会」の解説で拝見する京須さんとは少しだけ違った面がうかがえるような感じです。六代目圓生、名人だと思うなあ・・・しかしこの本、正直のところいささか読みにくい・・・です。2023/01/21
姉勤
23
何が言いたいのか分からない。ぶっちゃければ、何を言ってるのかも。時代と話題が飛びまくるし、テーマも絞れてない。それは著者のせいと言うより、編集者の怠慢。表装と内容の乖離からしてダメ。講談社の文芸担当は猛省を。名人の落語を銘刀に例えている事に反発がある著者だが、藝の力で現実と切り離し、落語の世界へ誘い、サゲによって引き戻す見事さは、刀の切れ味に例えてもいいと思える。2013/11/26
ともこ
21
子供の頃から60年近く落語好きな私にとっては、懐かしい名前が次々登場しワクワクした。明治時代の名人はもちろんわからないが、圓生・志ん朝・小さん・・好きな噺家のエピソードやまくらは特に嬉しかった。また、死の3月前、高座で言葉を失った文楽師匠が「勉強し直してまいります」と言って楽屋へ戻った有名な話は、今更ながら胸を打つ。本書でも高評価の小さん・小三治師匠の流れを継いでいる噺家の高座をよく聞きに行く。手元にある好きな噺家さんたちの音源も含めて、落語をこれからも楽しんでいきたい。 2023/10/14
ワッツ
4
名人とはなんぞや?以前驚いたのが、桂文楽ですら、明治大正の名人には及ばないという話だ。この本にも書いている。圓朝、圓喬、圓右、三代目小さん。昭和の名人と言えばやはり文楽、志ん生、圓生。しかし、当時は特にそのように言われなかったようだ。確かに現代は名人濫発で、小生の好きな噺家だけど名人◯◯と言われたりして、それは違うだろうとこそばゆい。この名人談義は志ん朝に始まり志ん朝に終わる。よく、志ん朝があと十年生きていれば名人になったと言われるが、志ん朝は気にしていなかったという結論。親父の重圧はあったろうが。2017/01/30
TONAS
3
権威ある落語録音プロデューサー・落語評論家による一冊だが、ずいぶんとつまらない話をしているなといった印象。落語界における「名人」という呼称の扱われ方について延々と散文を連ねているが、掘り下げるべき場所がズレているように思う。昭和の落語家の解説本としては内容が薄すぎるし、評論家一般を揶揄することで自身の弁えをアピールしているあたりもスケールが小さい。そんな中で、高校時代に落語会で圓生の『怪談乳房榎』を聴いて感動し、耳を汚したくないからと電車に乗らず雨の中を歩いて帰ったというセンチな回顧談は微笑ましかった。2022/05/20
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