内容説明
真実にじかに触れることは可能か
私たちが、「本当の自分」に出会いたい、愛する人の心を見極めたいと思うのはなぜなのだろうか。想像上のもの、他者、過去や未来、社会……私たちの周りにあって、意識が直接到達できないものと接近し直観することの可能性を徹底的に考察したサルトル思想の真髄を問い直す。
[内容]
I わたしは世界にじかに接している
II 時間性あるいは自己からの距離
III わたしは他者に到達できない
IV わたしを疎外する歴史と社会
サルトル小伝
読書案内
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
阿呆った(旧・ことうら)
18
仏・実存主義哲学者・サルトルの思想について◆己の意識の直接的な経験がおよばない外部(他者、集団、社会、歴史など)の世界は、己を疎外するものであり、私はそこに投げられている。この状況を引き受け、それを乗り越えつつ、私の自由を生きなければならない。◆『意識の直接性』と外部を繋げようとした、『観念論と実在論の対立を乗り越える』試み。2017/03/08
H2A
16
サルトルに興味があるというより、ごく個人的な理由で手に取る。手軽な分量ながら、「直接性」を切り口にサルトルの思想家としての一面を明解な語り口で解説し、たぶん入門編としても優れているだろう。サルトルが辿り着いた結論が直接性への到達は原理的に不可能ということだと理解しても、その思索の成果は肯定的に捉えているようだ。デリダを好んだ著者が、研究者として最初に選んだサルトルについての小冊子を書き、それがそのまま遺作になったというのも因果な気がする。2013/12/31
イチロー
7
サルトルの人間の定義は「自分の可能性に向けてみずからを投げかける存在」である。もともと何者でもなく何の意味を持つことなく生まれるが、選択していくなかで何者かになり自分の人生に意味を作っていく。選択する自由というのは誰にでもある。朝に起きれなかった時、起きれなかったのではなく起きない事を選択したと思わなければいけない。そうやって一つ一つの選択に対して真剣に向き合う必要がある。 私は今日の朝、寒くて寝坊したけど・・・。いや起きなかったんだ。2013/12/09
Z
6
サルトルの小説に関心をもった。サルトルの哲学は著者いわく主体が直接的に対象を捉えることを理想とするものであるが、歴史や社会の問題となると体験できない他者の主観が入り込みその事を不可能にする。サルトルの社会哲学は未刊に終わった。小説においては「自由への道」は全体小説なるものを目指して、複数主観を捉えて全体を形づくるような修辞的な試みを行っている。直接的な接触を目指して挫折をするサルトルであったが、『嘔吐』においては、挫折から始まり希望を感じさせるようなラストで小説が終わっている。今さらサルトルという感じは著2022/09/07
kaya
6
人と人は互いの自由を束縛し合う関係である。また、他人は決して到達し得ない存在である。しかし、わたしの自由が阻害されようとも、たとえ決して理解しきれないのだとしても、それでもわたしは「他者の気持ちと重なりたい」と願うことをやめられない。「わかりあえるかもしれない」という希望だけで、わたしは充分だから。2015/04/16
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