内容説明
女流画家を通じ、“魂の内奥”の旅を描く。
異例の才能を持ちながら埋もれていった亡命ロシア人女流作家マリア・ヴァシレウスカヤ(マーシャ)の内的彷徨を描く辻邦生の処女長編作。
少女期に出会った魅惑的な少女アンドレとの痛みを伴った甘美な愛を失い、結婚に破れ、つねに芸術の空しさを苦汁のようになめながら、生の意味、芸術の意味を模索し続けた、寡作の画家マーシャの短い生涯を、彼女が遺した日記や手紙から辿る伝記風スタイルを用い、清冽な筆致で描いた作品
敬虔で慎み深く、絵の才能を持て余すマーシャと、身体が弱いために生に焦がれる無鉄砲なお嬢さまアンドレ、孤独を抱えるふたりの交流がとても丁寧に描写されている。第4回近代文学賞受賞作。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
あきあかね
27
蝉時雨に優しく包まれた趣のある建物。先週、著者の没後20年を記念して学習院大学で開かれた『廻廊にて』の朗読会に参加した。若い世代の人達の澄んだ声を聴いていると、辻邦生の思いが受け継がれていく気がした。 遺された手記から主人公の精神の遍歴をたどっていく手法は、後の『夏の砦』等を髣髴とさせる。 幼い頃ロシアから亡命したマーシャが修道院で奔放さと危うさを持つアンドレと出会い、恋と言える感情を抱いていく様子は清冽な瑞々しさに溢れている。 他方で、単に生きること、生を肯定·賛美するのではなく、飢えや寒さ、⇒2019/08/04
松本直哉
23
掛金がはずれて落ちてきた宗教画の、額縁が外れて露わになった、不揃いな塗り残しを含む余白に、完成された芸術品となる前の芸術家の努力と苦悶と喜びを初めて感じ取る場面。切り揃えられて整えられた芸術品を傍観者として消費するのではなく、危険を恐れずにその只中に飛び込んで命を燃やすこと、その時初めて人は、夜を信じ歌を信じ大地とつながっていた、もはやもどることのできないあの永遠の故郷とふたたび和解できるのかもしれない。故郷からも血縁からも根こそぎにされた画家は、ただ芸術によってのみ人生を照らし意味あるものにしようとする2019/11/09
kthyk
18
冷徹な寂寥感に染まった「黄色い雨」はむかし詠んだ「廻廊にて」を思い出させてくれた。それはスペイン、フランス、ドイツ、ロシアへと引き継がれていく近代の「人間の空間」の崩壊を描く詩であり、日記であり、語りと言えるようだ。「廻廊にて」は中世のタペストリーと黒にオブセッションする3人の女性の廻廊、城館、海がテーマ。1910年代のロシア革命にはじまり戦後世界に引き継がれる物語はリャマーサレスそして辻邦生、共に時代の狭間を描いた最初の作品といえるようだ。そこには絵画そして文学という言葉の世界の再生が目論まれている。2021/01/30
miori
13
物語外の語り手の私(日本人の画家)が、亡命ロシア人の女性画家について語った物語です。私の語りの中に、主要人物の日記や手紙が物語内の語り手として多く引用されています。面白いのは、私が日記や手紙、人から聞いた情報だけで、登場人物の細かな行動や心の動き、情景描写を、事実であるとして語っていて、一人称小説と三人称小説が混ざっているようなところです。素人がやったら非難されそうかも?日記や手紙は、私が翻訳したという態で、漢字は漢字、ひらがなはカタカナ、カタカナはひらがなで表記されています。2022/08/24
ぐっちー
13
読みにくい、というのは確かそうなのだけど、お陰で一語一語をゆっくり読んでゆく。美麗な語句はないに、豊かな表現がひたひたと胸を満たしてゆく。寡作で無名の画家の少女時代の足跡を辿る物語であるが、もしこの画家の年譜を作ったら、非常に孤独で寂しい生涯だったということになるだろう。しかし、彼女の日記を当たり、多感な時期に出会えた友や、絵画や風景をゆっくり廻廊のように巡ることで、彼女が得た歓びや哀切を受け止めることができる。人が生きた奇跡が美へと、そして永遠へと回帰してゆく、苦くて芳しい物語だった。2020/04/16