内容説明
昭和三十年代、人々は映画の中に「明日」を夢見ていた。日活とそこに集ったスター達を通じ経済成長前夜の時代精神を描いた長篇評伝
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
i-miya
65
2014.01.21(01/14)(つづき)関川夏央著。 01/21 (p012) 1960、吉永小百合、日活入社、15歳、1945生まれ。 1962、『キューポラのある街』は日活26作目。 全部で28作目。松竹大船と新東邦。 17歳にしてこのキャリア。 1964、『愛と死をみつめて』、同志社大学女子と中央大学男子、文通、軟骨肉腫。 早稲田大学第二文学部。 その後。 意図してつまらない脚本を選んだかのよう。 2014/01/21
i-miya
53
2013.12.14(12/14)(再読)関川夏央著。 12/12 (カバー) 昭和30年代、高度成長が緒についたとはいえ、未だ貧しさの名残を残し、社会は変質を強いられていた。 その世相を色濃く反映、映画、日活、吉永小百合、石原裕次郎、その長編を評価。 (あとがき) 1964、東京五輪、15歳。 平等に貧乏だった。 「知識」とは無縁の場所で、しかし、強力にリードするかのようであった日活を材料にあえてとった。 2013/12/14
i-miya
14
2013.12.14(12/14)(再読)関川夏央著。 12/12 (カバー) 昭和30年代、高度成長が緒についたとはいえ、未だ貧しさの名残を残し、社会は変質を強いられていた。 その世相を色濃く反映、映画、日活、吉永小百合、石原裕次郎、その長編を評価。 (あとがき) 1964、東京五輪、15歳。 平等に貧乏だった。 「知識」とは無縁の場所で、しかし、強力にリードするかのようであった日活を材料にあえてとった。 2006/02/15
よし
2
昭和30年代、 「キューポラのある町」から「愛と死をみつめ」それに、「寒い朝」「いつでも夢を」の吉永小百合は確かに輝いていた。昭和が明るかった頃だつた。2020/02/02
さるぼぼキング
2
石原裕次郎と吉永小百合、その圧倒的なスターを生み出した日活映画の栄枯盛衰を通して、日本社会と大衆の夢の変遷、戦後の転換点を浮き彫りにする内容。 現在の吉永小百合のあの面影からは想像しがたい、起伏にとんだというか、主にその内面における激しいうねりを経てきたんだという半生にちょっとびっくりした。 まあしかし著者のいうところの「明るかった頃の昭和」をとうに過ぎて生まれた自分としては細かい分析には実感の伴いようもなく、「三丁目の夕陽」的ななんとなくノスタルジックな感じで眺めるだけだったが。2013/10/08