内容説明
開祖道元禅師以来、曹洞宗では「食」をたいへん大切にしています。
「食」といってもたんに食物自体ではなく、調理や給仕、食事の仕方、後片付けまで全体を含むものです。
そうした食の作法が、坐禅をすることや経典を学習することと同等に扱われているのです。
ではなぜそんなに「食」が重視されるのか?
なぜならそれが身体と心を快適な状態にし、周囲の人や環境と調和することを目指す禅そのものだからです。
大本山永平寺で修行し現在ベルリンを拠点に欧州の人々に禅を伝えている若き僧侶が、永平寺の食の作法を紹介しながら、私たちが日常生活でどのように実践することができるのかを語ります。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
SOHSA
27
《kindleunlimited》典座教訓をもとに永平寺の食の作法を一般社会生活へ還元を試みた一冊。食に向かう姿勢には悉く共感した。常にこうありたいと思うが、果たして私にどこまでできるのだろう。いや、はじめから出来ない前提ややらない理由を並べてしまっては、なるものもならない。とりあえず、ひとつでもふたつでもやってみることがおそらくは大切なのだろう。そういえば、早朝坐禅も短時間ながら気がつけば既に3年以上継続している。やはり、小さなことからこつこつと、ということか。2022/09/10
ルル
17
‘食’ の価値観が変わります(*^^*)姿勢を整えてありがたく頂く^^2016/10/23
うさっぴ
5
すごい。私はただ料理をして、食べて、食器を洗うだけだった。食事の時に、まず感謝の気持ちを大切にしていきたい。2016/04/15
MOTO
5
私達の「食べ物」は、スーパーで買う事が出来る。又、作るのも面倒な時ファミレスやファーストフード店もたくさんある。最近「空腹」とはどんな状態か?忘れてしまった感さえある。 今回、僧侶の食事作法を読んで気付かされたのは「食べ物」の元は「命」であった、という事。それ故僧侶は「食べる」ではなく「頂く」と言うそう。 決して贅沢な内容の食事では無いが、丁寧に拵え粛々と食する。 最も大切な「命を頂いている」と言う意識を常に持ち続けていると、手を合わせ「頂きます」と言う言葉がごく自然に発せられるものなのかも知れない。 2016/01/19
kaguyam
5
食事の作法って難しそうと思ってたけど、行動の理由がわかれば難しくないものなんだとわかった。それだけでももうけもんかなぁっと思った。 「~心がまっすぐであったら、すべての物をまっすぐにする必要がある。修行をしておるんじゃなくて当たり前のことをやっておるんや。それよりやることないんだ」 「お坊さんにまなぶこころが調う食の作法」/星覚2015/10/17




