内容説明
1995年3月20日 地下鉄サリン事件が起きた。
無差別なテロによって13人が死亡、6000人以上が重軽傷を負う。
麻原彰晃を教祖とするオウム真理教の組織的な犯行だった。
その後、殺人をはじめとした多くの犯行が次々と明らかになる。
著者・古賀義章は当時週刊誌の記者で、オウム真理教事件を取材していた。
教祖逮捕から1年半後、オウム施設が近々解体されると聞き、
山梨県上九一色村(当時)、熊本県波野村(当時)の広大な敷地に建てられていた施設を
撮り始める。撮影した写真は5000カットに及んだ。
教祖逮捕後も施設に残り、修行を続ける信者たち。
標高800メートルの山深い阿蘇の村に建てられた「シャンバラ精舎」には、
強制退去の前日までふたりの信者が住んでいた。
いっぽう、サリンプラントなどがあった上九一色村のサティアンから
信者たちが退去したのは、1996年10月のことだった。
信者の去ったあとには、彼らが暮らした痕跡がそこここに乱雑に、いや乱暴に残されていた。
サリンプラントをはじめ、犯罪の痕跡も生々しく見え隠れする。
上九一色村と波野村の施設の解体までを見届けた記録の数々は、
いま我々に何を語りかけるのか。
あのときから20年。
我々と彼らの距離はどれほどのものだったのだろうか?
誰もが思うオウムの「なぜ」。この問いにこそ、意味がある。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
大熊真春(OKUMA Masaharu)
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破産管財人に引き渡される前の元オウム施設を取材した準写真集◆テキストのほうでは信者側の立場でどういう思いをしていたのかを取材している。◆出版前に本人からNGになったインタビューがずいぶんあり、「どうしても入れたい」というのが使えなかったとか。私も読みたかったな。残念だ。◆「向こう側から見た世界」という面では森達也監督の「A」なんかには負けてるな。密着度が違うから。◆麻原の説法はよく引用される部分の前後をしっかり読むと確かに説得力があったのがわかる。◆施設よくは調べもせずに解体するべきではなかったよ。2015/06/02
大熊真春(OKUMA Masaharu)
0
再読です。今回気になったのは「広大な」と良く表現されるオウム施設の敷地面積の実際の狭さ。「XX万㎡」とか言われると面積感覚が無ければ簡単にマスコミに騙される。 実は計算してみると波野村で取得した土地は400m四方しかないし、上九一色も220m四方しかない。狭いのだ。私か本かどっちかゼロの数がおかしいのかと思って検算もし、他の資料にも当たってみた。敷地面積ではなく建物の面積の合計かとも思ったがそれも違う。上久一色のサティアン群の敷地面積が一辺220メートルの正方形と同じくらい???? なんか納得がいかない。2017/10/30
nizmnizm
0
20年前のサリン事件を思い出した。あの頃の私は時代の流れにのって楽しく過ごしていた。今色々悩みやこれからの人生を考えてるとオウムの本など読んで自己啓発だと思いもっと知りたい、幸せになりたいと思いそうだ。そうした閉塞感から抜け出し突き抜けたいという気持ちで、入信、出家するかもしれない。普通の信者は真面目、共感する。今すごいスピードで世の中は変わりながら、なにか大切なもの、ひとりひとりのしあわせと全体のバランスみたいなものが見捨てられ危ない。ISのように世界各地でそんな事が沢山おきそう。2015/04/16
takam
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オウム真理教の元信者視点のインタビューをもとに入信や出家生活についてまとめられている。自分が子供のころのオウムに対してのヒステリックな報道は未だに鮮明に覚えており、やはり犯罪者集団の印象はぬぐえない。 しかし、信者の視点に立てば彼らも救いをもって入信した宗教が私利私欲の先に国家転覆を企てたことは悲劇だろう。信者の入信前の話を聞く限り、物質主義に溺れる現代に嫌気を感じている人が多く、アノミーのような集団だと思った。麻原彰晃という権威に救いを求めることで一時の幸福を受け、犯罪に間接的に犯罪に関わることになった2018/06/05