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内容説明
やかましいほどにリーダー論、リーダーシップ論がにぎやかである。いまの日本社会に閉塞感を感じている人はとくに、大きく社会を変えてくれるような強いリーダーを求めている。しかし、右肩下がりの縮小社会へと歩み出した日本で本当に必要とされているのは、登山でしんがりを務めるように後ろから皆を支えていける、または互いに助け合えるような、フォロアーシップ精神にあふれた人である。そしてもっとも大切なことは、いつでもリーダーの代わりが担えるように、誰もが準備を怠らないようにすることであると著者は説く。人口減少と高齢化社会という日本の課題に立ち向かうためには、市民としてどのような心もちであるべきかについて考察した一冊である。
鷲田清一(わしだ・きよかず)1949年、京都生まれ。哲学者。京都市立芸術大学学長。大阪大学名誉教授。せんだいメディアテーク館長。専門は臨床哲学・倫理学。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。関西大学文学部教授、大阪大学教授、同大学文学部長、総長、大谷大学教授をへて現職。著書に『分散する理性』『モードの迷宮』(以上2冊でサントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(読売文学賞)、『「待つ」ということ』、『哲学の使い方』など多数。2004年、紫綬褒章受章。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
sayan
39
先日読んだ書籍「社会のしんがり」は本書の反リーダーシップ論=皆の安全を確認する役割=しんがりを必要とする著者の考えに拠る。直感的な読了後の感想は、5章からなる本書は「各論納得、総論は消化不良」だ。著者は右肩上がり=(経済)成長時代は人々に安心と期待をもたらし「安楽」の工夫で求められたが、右肩下がりの時代は「我慢」と工夫が求められると言う。それは我慢と共に、眼前の社会課題を個人=市民力の向上を通じた解決を言う。その牽引力として「しんがり」の担い手を求める。火中の栗を拾う個人は多くない理想と現実の乖離が強い。2020/09/25
けんとまん1007
38
鷲田先生が言う反リーダーシップという視点は、そのとおりだと思う。一般的に、リーダーシップという言葉から連想されることは、かなり限定されたものであると思っている。今の、今後のリーダーシップとはを考えるきっかけになる。この国のかなりの部分が、クレーマーになりつつあることには、危惧を抱いている。それに対して、自分自身はどうなのかを考えることから、始めたい。2018/05/20
緋莢
19
右肩上がりの望めない現在の日本に必要なのは、「しんがり」だ。フォロワーシップ精神に溢れた人が、皆の後ろから「全体への気遣い」へを見せる「しんがりの思想」を考える「反リーダーシップ論」。 2015/12/10
まさこ
16
「請われれば一差し舞える人物になれ」からこちらの著書へ。フォロワーシップとは。◆「専門性と市民性のあいだ」の章は、まさしく考えていたこと。知性の私的使用とは(私のためということでなく)職務(立場)としてのふるまい。これがいかに今を暗く閉塞させているか。原発報道での専門家への違和感。いじめ対応にスクールカウンセラー増員の違和感。皆いち市民として知性を使えれば。◆リスポンシビリティ・・・他者からの呼びかけに「。あら、これ私の役だわ」と引き受ける感じかな。◆代替と代理の違いは考えたことなかった。◆しんがり隊長。2016/10/21
Gatsby
15
いかにも鷲田先生の本のタイトルらしい。『しんがりの思想』。思わず書店でクスッと笑って購入した。巷に溢れるリーダーになるための本や、一方で強いリーダーを求めるメンタリティーにもNo!と言う。実際、船頭が多いと船は山に登ってしまうのだし、リーダーもフォロワーシップがわかっていないと、無理に事を進めたり、フォロワーの心が離れたりするのではないだろうか。ただ、学校では疑似リーダー体験をするのも悪くない。鷲田先生のテンポにのせられて、あれやこれやと楽しく考える時間を与えてもらった。2015/04/15