内容説明
日々の生活から心に映った風景を書き留めた愛のエッセイ集。
「随筆というのは、その時その時の心に映った風景である。(中略)いわば心のスナップ写真とでも言えようか。」(あとがき)。
一本の電話から、行きずりの子供の姿から、取材旅行先の並木道から、等々、日々の生活から生まれたさまざまな思いを綴った愛のエッセイ集。
「三浦綾子電子全集」付録として、「ゆるす」というテーマのエッセイを収録!
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Take@磨穿鉄靴
38
思えば本を読むようになったきっかけは中学一年生の時に読んだ「氷点」だったと思う。当時キリスト教についていろいろ考えたけど結局は信じきれなかった。今も残念ながら心からの信仰は持ち合わせていないけど信仰を持つ人を羨ましく思う。本棚に残すか断捨離か迷うけど減らしていかなければならないし残留ならずかな。★★★☆☆2021/05/22
ゆーこりん
8
三浦綾子さんは敬虔なクリスチャン。私は無宗教ですが、綾子さんの随筆・小説はとても読みやすいし心の深いところに訴えてくるものがあるのでとても好きです。末期癌の状態で書かれた随筆ですが、神を信じ人を愛し自分の死をも恐れていない綾子さんの誠実さ優しさ強さがあふれています。綾子さんの文章に触れると謙虚な気持ちになれます。亡くなられた今も著書の中に魂が生き続けていらっしゃるのを感じます。2013/11/18
moonanddai
6
そうか、私も勘違いしていました。ミレーの「落ち穂拾い」は労働の厳しさ、農民の貧しさを表現しているものだとばかり思っていました。それもあるのですが、むしろ「落ち穂」は村の寡婦や貧しい人たちのために、耕作者が残していったものだったので、むしろ人の心の温かさを伝えるものでした。とすると「晩鐘」ももっと広い意味にとらえなければならないのかもしれません。「祈り」は単なる祈りだけにとどまらず、あらゆる人、あらゆるものへの祈りへ広がっていくものなのかもしれない。この本を読んでそう感じました。2017/08/16
gen
3
家族から借りた、'94年刊行のエッセイ集。謙虚に、そして常に祈り、光世さんと生きる三浦綾子さんは、見習いたい人だ。「学ぶよろこび」に「君たちが卒業したということは、独学できるということである」という台詞があるが、僕はどうか。学ぶことを忘れて、ふらふら毎日を過ごしているじゃないか。2014/04/03
じゅんちゃん
1
クリスチャン作家である筆者のエッセイ集。どの章を読んでも根底には神のもと、どのように生きていったら良いのかという考えがあるので、無宗教である私でも考えさせられることが多かったと思います。個人的には「氷点」などの小説の方が好きです。2016/12/03
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