内容説明
大岡信の『私の万葉集』第三巻(全五巻)。 ひさかたの 天の香具山 この夕 霞たなびく 春立つらしも 人麻呂のゆったりとした万葉人の息吹を伝えたい。著者の思いは、愛情深く、平易な文体で現代につなげていく。「万葉集」巻八から十二までを、たとえば恋の歌、それは、日本人の永遠に通ずる心の古典として……。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
かふ
16
巻八から巻十二まで。このあたりの巻は、季節別、季節の花鳥風月の比喩を用いて恋を歌うのだが(相聞歌)、和歌が和合という行為自体の本質でありそれは古代から歌垣(すでに平安時代にはこの習慣は地方で見られるものだったのか、高橋虫麻呂の長歌が有名)では性行為が目的。遠藤耕太郎『万葉集の起源-東アジアに息づく抒情の系譜』を読むと必ずしも性行為(乱交)が目的ではなく純粋に歌の和合(カラオケ大会?)だったらしいのだが、クラブ通いがダンスを目的としつつ、人によってはナンパ目的であったりするので、そういうことなのだと思う。2021/02/22
はちめ
6
この巻には海石榴市を舞台にする問答歌も紹介されているが、家持の生きた時代に歌垣は残っていたのだろうか。それとも、市として残っている横で歌垣的なことを行う男女があった程度だろうか。ただ、かつて歌垣というイベントが行われていたことについて当時の貴族たちの間に共通理解はあったのではないだろうか。万葉集の中の数多い相聞歌の中の何割かは歌垣的な環境で、疑似恋愛的に詠まれたのではないだろうか。だからこそ万葉集の中に文字化されて残ったのではないか。☆☆☆☆☆2022/08/29
はちめ
6
万葉集8巻から12巻までだが、このあたりの巻の特徴は歌の内容による部立てがきっちりしている。第三者が歌の手本として読むことを前提として編纂されている可能性があるとのことです。そういえば何となく意味の取りやすい歌が多いような気がする。なお、歌の手本という意味において柿本人麻呂は特別扱いされていて各巻の冒頭に歌が集められているようです。☆☆☆☆★2019/11/23
はちめ
1
この巻の嵐山光三郎の後書きは面白い。勿論本編も楽しく読める傑作です。2015/04/15