ちくま新書<br> 日本人の身体

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ちくま新書
日本人の身体

  • 著者名:安田登(能楽師)
  • 価格 ¥770(本体¥700)
  • 筑摩書房(2014/09発売)
  • ポイント 7pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784480067944

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内容説明

「膝」と言えば、ピンポイントの膝頭ではなく太ももの前側全体を指し、「肩」と言えば、肩峰のみならず、首肩まわりの「界隈」を指す……おおざっぱであり曖昧であり、細かいことは気にしなかったはずの日本人の身体観。ところが、現代の身体に関する志向性はこれに逆行している。人間同士の境界も環境との境界も曖昧であったがゆえに、他人や自然と共鳴できていた日本人の身体観を、古今東西の文献や文学、また能の詞章を検証しつつ振り返ることで、「カラダ」と「ココロ」に分裂し、内向きになっている現代の身体観を、打開する端緒としたい。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

アキ

82
現代の身体への考えは細分化と対象化が進むが、からだとは元々死体の意味であった。からは「殻・空」が語源。からだを表す言語は、み(身)「実」と同源。古事記には魂という言葉もなかった。西洋の古典ホメーロスのイーリアスでは既に魂と亡骸は分離している。幽霊がシテになる能も多い。能では身体と心は分離されることはなく、生者と死者の区別も他者と自分との境界も曖昧であった。更に草木国土悉皆成仏は日本独自の考え。日本語の語源から解き起こす身体論。能は無声の息も含めての身体芸術。「命には終りあり、能には果てあるべからず」世阿弥2020/01/16

チャーリブ

48
人間の身体性ということが気になって読みました。著者は能楽師で公認ロルファーという人なので生の身体論を期待したのですが、古典や漢字の語源などの知識主体の内容でした。「からだ」とは本来死体という意味で、生きている身体は「身」と呼ばれていたとか、日本人は元々境界があいまいな身体観を持っていて、自他をあまり区別せず性的なことにもおおらかであったとか、「息」という漢字は「自」=「鼻」なので呼吸と心の関係を暗示しているとか、今の自分の関心からは外れる内容でした。古典の知識を深めたい人には好適。2023/03/08

壱萬弐仟縁

28
混浴(029頁~)。男女間のやり取りもエロスというか、喧嘩っ早い感じがするのは不思議である。漱石は猫に、運動を西洋から神国への伝染病の一種だと言わしめる(038頁)。運動は時間がないから出来ないとも。いや、5分でも縄跳びでもやればいいと思う。2週間ぐらいはやっているよ。650年の歴史をもつ能は、控え目な芸能で、静かに真理のごとくに開示されるだけ。観客は自分のことを考える空間にいるようだ(078頁~)。2014/11/23

Sakie

22
今月、お話を拝聴する機会があるので、予備知識として。引用は古今東西の古典からで、身体は手足から始まり内臓や粘膜まであるのだから、とにかく話の間口が広く深い。東洋人にとっての境界とは点や線でなくもっと曖昧な一帯、即ち「あわい」であるなど、興味も尽きない。若い人の型稽古は、からだが強く柔軟な故にうまくないとの指摘に瞠目した。歳を経て、からだが堅くなって初めてあるべき型ができるようになる、それが老成。その為には逆に、若くから稽古を重ね、からだを緩めることを覚え、日本人の身体観を学び醸成することが大事なわけで。2018/10/02

ぺったらぺたら子 

20
心身二元論の移植によって「身」が「からだ」にモノ化してしまう、その前の我々の感覚とは何か。野口晴哉や甲野善紀、さらには梅原猛、河合隼雄、等々とも繋がってくる。雨によって時空が歪む、という能の世界。天候の変化は身体の変化と不可分である。成瀬の映画でも雨が降る時、かならず主人公の内的な変化を伴うが。そうした日本人の「あわい」という境界の曖昧なかたちを肯定的に論じた本だが、「和」とは複数の笛を同時に鳴らすことであり、決して同じ旋律を鳴らす事ではない。だから本来「和をもって尊し」とは同調圧力的な物ではないのだ。 2020/03/26

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