内容説明
「日本人であること」を探究する第一歩とは……。日本人の内にあり、必然的に我々本来の在り方を見失わせるもの――本居宣長が「からごころ」と呼んだ機構の究明を通し、日本精神を問い直す。戦後世代の大東亜戦争論として、論壇に衝撃を与えた初期論考を含む、鋭く深い思索の軌跡。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
双海(ふたみ)
14
本居宣長が「からごころ」と呼んだ機構の究明を通し、日本精神を問い直す思索の書・・・。2014/06/23
sk
5
日本人は外国の文化に侵食されながらも、それを無視してしまう心理的機構をもっている、という刺激的論考。2017/10/14
カインズ
4
【心の基本をどこに置く】訓読によって、元が中国語であることを完全に無視する形で漢字を摂取したがために、日本人の心のあり方の基本が中国風になってしまっているという本居宣長の「から意」に関する指摘には、日本人のグローバル病の根源は、そこまで遡るのかと思わされた。日本で言うインターナショナリゼーションが外国では通じないのみならず、internationalizeという言葉の背後におぞましいものがあるという国際化に関する論考も読み応えがあった。日本の模倣による発展には、やむを得ない面もあったが副作用も大きかった。2014/07/21
Lieu
2
私は精神論的な護憲ありきの護憲論にも改憲ありきの改憲論にも与しないので、著者が少しだけ憲法に触れる箇所には賛成しないが、自国を守るために漢字を取り入れつつも、それを中国語としてではなく全く独自に読むところに日本文化の日本らしさがある、明治の「西洋化」もまさに西洋から自国を守るためであったというのは、確かにそうだと思う。そこに悲哀を感じる人がこの国では「右」と呼ばれ、嬉々として日本語を使えばよいところに英語や洗練されない翻訳語を使い、便利で快適な生活のみを求めるのが戦前も戦後もごく普通の日本人なのだろう。2022/09/12
Mercy
1
86年出版の評論集。小林秀雄の『本居宣長』をとらえかえす「からごころ」('84)から、「『細雪』」('81)の文芸批評、書きおろしの「『黒い雨』」の文芸批評、そして「大東亜戦争」('86)と「国際化」('88)のふたつの評論からなる。「和」と「敵」を切り口に、幕末から戦後までの日本人の歴史的な心性と、その不可解さを剔抉する洞察にほれぼれさせられる。犀利な批評性をささえる、著者の簡勁な問題意識をひきうけるためにも、さらなる批評の更新が必要だろう。そんなはなれわざを、なしえるかはまだわからないが。2020/06/09