- ホーム
- > 電子書籍
- > 教養文庫・新書・選書
内容説明
「人間は生きものであり,自然の中にある」.大震災以後の社会は,この「当たり前」の原点からしか再生できない.まず誰よりも,科学者が一個の人間であることによって,出来ることがあるのではないか.人間も含んだ生きもの全体の歴史として「生命誌」を提示し続けてきた著者が,私たちの未来への熱い思いをこめて語る.
目次
目 次
はじめに――科学者が人間であること
Ⅰ 「生きものである」ことを忘れた人間
1 「生きものである」とはどういうことか
2 「ヒト」の特徴を考える
3 近代文明とは何だったか――「生命」の視点から
Ⅱ 「専門家」を問う――社会とどう関わるか
1 大森荘蔵が描く「近代」
2 専門家のありようを見直す
3 社会に対する「表現」
4 生活者として、思想家としての科学者
Ⅲ 「機械論」から「生命論」へ――「重ね描き」の提案
1 近代科学がはらむ問題
2 「密画化」による「死物化」
3 「重ね描き」という方法
4 自然は生きている
5 「知る」ことと「わかる」こと
Ⅳ 「重ね描き」の実践にむけて――日本人の自然観から
1 日本人の自然観
2 「重ね描き」の先達、宮沢賢治
3 「南方曼陀羅」と複雑系の科学
4 重ね描きの普遍性
Ⅴ 新しい知への道――人間である科学者がつくる
1 生命科学の誕生
2 アメリカ型ライフサイエンスの問題点
3 何を変えていくか
4 生命誌研究館の二〇年とこれから
おわりに
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
i-miya
44
2013.09.23(読んだわけではありません、日経新聞2013.09.22書評欄から) 2013.09.23 書評者=森岡正博(大阪府立大学教授)。 中村桂子=1936生まれ、JT生命誌研究館館長。『生命科学者ノート』『生命科学と人間』。 中村桂子による渾身のエッセイ。 科学を目指す若者への熱いメッセージ。 地球の中で、生き物の一員として生きていることを大切にするような人間になる。 科学がそれを担う。 原子力大事故、起きないと私は思っていたと告白。 2013/09/23
k sato
34
生きものの「生きる」に「活きる」科学であれ。人間は生きものであり、自然の一部である。科学者もまた生き物であり、自然の一部である。この基本を科学者は忘れていないだろうか。そう筆者は問いかける。国は、経済効果が期待でき短期に成果となりうる研究を取捨選択し、研究予算を集中させた。その結果、研究者は生命や自然を機械論的に捉えるようになった。そして、科学は万能だと盲信する危うい思考も生まれた。日常・自然・思想のなかで、科学者は物事を学問として「知る」ことと、日常に置き換えて「分かる」を両立できる人間であってほしい。2023/09/12
しょうじ@創作「熾火」執筆中。
28
【1回目】かつて(90年代?)よく読んで大いに刺激を受けていた中村先生の健在ぶりと、いい意味での「変わらなさ」を印象づけた1冊。大森荘蔵や宮澤賢治、南方熊楠らに依りながら、科学を否定せずに科学を「越える」ことへの試みが綴られる。科学者が人間であり、その人間は「生きもの」として自然の中で生きているという生活者と思想家の側面を手放さないことが不可欠であり、西洋(分析)はダメだから東洋(総合)、というような乱暴な議論をしていてはいけないとする。ナイーブな書ではあるが、広く読まれるべき一書であると思う。2018/09/01
楓
27
今まで読んだ本とは異なる雰囲気でとても楽しめた。具体的な例で中村桂子さんの主張がより明確に伝わり、納得できる部分も多くあり、共感できた。普段は便利な世の中で生き、なかなか気づかない「生きものとしての感覚」についても改めて自分の五感を用いて判断し、責任を持つことが大切と分かった。最新の科学や数字に頼りがちな世の中で、「生きものとして生きる、『自律的な生き方』」ができればなと思う。2023/06/14
ろくせい@やまもとかねよし
21
自然科学のうち生物に関わる学問は、主体である人間自身が生物であるため、多くのバイアスの中で知識を積み重ねる。例えば、現代生物学に宗教的な単語「セントラルドグマ」が普遍的に用いられる点が挙げられる。中村桂子さんの専門のゲノムを中心に、社会における科学の理解を考察している。「世界観」の意味を頼りに、自然全体の理解は、客観的で知覚的な知識だけではなく、主体的な情緒的な評価も含む必要を提案していると感じた。近現代の科学的、哲学的な話題から「世界観」に迫っていく。「生命」を操作できるとの人類の傲慢に警鐘を鳴らす。2014/07/11