内容説明
新進作家として活躍する昭和24年25年。
昭和24年~25年。山田誠也は東京医学専門学校を卒業、インターンとなる一方、作家・山田風太郎として日本探偵作家クラブ賞を受賞、江戸川乱歩や横溝正史らと交流を深めながら数々の作品を発表しつづける。
<今……元旦零時。ラジオより除夜の鐘鳴りつつあり、夜雨静かにして咽ぶが如し。この年、二十八才! いかなる運命が余の前に展開せられるであろうか。呆々たる一日。夜、酒のみ泥酔(昭和24年1月1日)>
<決意す。余が医者たるは肉体的に精神的に性格的に適せず。乾坤一擲作家たらんとす。(?)(昭和24年5月8日)>
<午後、横溝氏訪ね、この十七日喀血せりとのことなれば見舞に卵三十個持ってゆく。談話不能にて、玄関にて奥さんと話す。新年号用小説の過労ならんと、〆切迫り表に靴音すれば原稿とりにあらずやとビクビクし、さて脳中何らのプロットなし、この苦悶見るも苦しと奥さんいう。横溝氏もこの点に於てはこちとらと同じなりと急に可笑しくなる(昭和24年11月24日)>
作家として萌芽のときを迎え、旺盛な執筆活動の合間には、膨大な読書量と時には無頼な暮らしぶりもあった。山田風太郎戦後日記シリーズ第3弾。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
電羊齋
6
このころになると次第に医師から作家へと変わりつつあるのが見てとれる。他の作家たちとの交友についての記述もなかなか面白い。多忙になってきたらしく、これまでに比べ日記の内容が簡潔になってくるが、それでも精力的に読書しているのはすごいと思った。2020/12/09
アンパッサン
4
『戦中派不戦日記』以来。戦後の山風さんは、出来事やひとに対してかなりクールというかシビアにみえた(戦争末期あたりはバクバク食べにたべていて、肉感的だったのに)。とにかく読むのも書くのもめちゃ早く、あの頃の娯楽がなかったにせよ、唖然としてしまう。時代的なものにせよ、女性観がちょっとなあって思ったりするけど、池波正太郎だってかくやだし受容はしないが、だからこそのあの忍法帳かなとか穿ってみてしまいます。よく会ってるなあ、高木彬光と。2025/03/18
まむし
3
歳を経てからの著者はエッセイで「本なんてほとんど読まない」と言っているがこの時代に年間300近く読んでいる蓄積が大きかったんだなぁとなる読書遍歴。忙しいのか読み物としてはちょっと魅力に欠けるようになってきたが大作家達との交流と著作の書評とそれを俯瞰視点で冷めた目で見ているのは老成しているなぁと2020/01/14
ドント
2
山田風太郎の昭和24・25年(デビュー直後くらい)の日記をまとめたもの。とにかく読書、執筆、酒、交友、たまに映画と遊廓の毎日である。時代物資料系統や探偵小説だけでなく文学作品もモリモリ読んでいて、娯楽の少ない時代だったとは言えこの知的好奇心の旺盛さには驚くばかり。そしてこんだけ読んでいて日記の中で明確に褒めている作品は10作ほどしかないのだ。こうなるとこれらを読みたくなってしまう。題名を勝手に変えたり原稿料を後払いにしたりする出版社のテキトーさも面白い。2014/01/03
S_Tomo🇺🇦🇯🇵
2
山田風太郎氏の戦後間もなく、氏が医学校を卒業し、それまでの二足のわらじから作家としての人生を選択した頃の日記。 特に後半は以前に比べ、知人との金の貸し借りが増え、酒も増え、よく遊ぶ(笑) とはいうものの、そういう時代だったし、それが作家としての肥やしでもあったのだろう。 それにしてもよく本を読む方だったようだ。2013/10/03