内容説明
武士の切腹は宣教師の殉教に通じる。「義」は「愛」に呼応する――武士道とキリスト教の根幹には、驚くべき共通点があった。牧師である著者は、日本屈指の剣術家というもうひとつの顔を持つ。礼拝が終わると教会は武道場に早変わり、将軍家指南役を務めた小野派一刀流・第十七代宗家の稽古が始まる。「格好だけ良いのは本物でない」「魂とは私という人格である」……人の生死を問う二つの「道」を究めて得た、いま日本人に必要な智恵。
目次
1 「武」とは戦いを止めること
2 勇気と自己犠牲の先にあるもの
3 どんな相手も倒す剣術を求めて
4 武士道とキリスト教が同居した心
5 格好だけ良いのは本物でない
6 キリスト教は「切腹」を認めるか、武士道に「愛」はあるか
7 武士道が教えない「私」に向き合う
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Die-Go
34
牧師であり、小野派一刀流の宗家でもある著者が、キリスト教と武士道の両面から生き方を問う一冊。その共通点を説くと共に、互いに足りないところを補完しあう関係が語られていた。でも、ちょっと無理があったかな?読みやすくはありました。★★★☆☆2016/03/31
calaf
12
牧師でありかつ、小野派一刀流第十七代宗家でもある著者が、武士道とキリスト教の共通点に関して語った本。まぁ、宗教なり古来のスポーツなりは、多かれ少なかれ同じような思想が根底に流れているのは間違いない気がするけど...つまり、別に武士道とキリスト教に限った話ではない気がするけど... (^_^;;;2013/03/11
あんさん
3
キリストは「一粒の麦」であり、武士道もそうあろうとする。そして、人には魂の帰る所が必要。2021/05/05
takao
3
著者は、青森県出身で、駒場エデン教会の牧師にして、小野派一刀流第17代宗家 2019/10/03
Kunio Hanaoka
3
一刀流にもキリスト教にも興味があるので読んでみたが、たいへん分かりやすい。双方に興味がなくても、歴史についても触れられているのでおもしろく読める。新渡戸の『武士道』や『葉隠れ』、内村鑑三・クラーク博士らにも言及している。特にキリスト教徒一刀流の考え方の類似点が興味深い。2015/02/25