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内容説明
西田幾多郎、レヴィナス、ドゥルーズ……その思考のあらたな可能性これまでの哲学が再三にわたって論じてきた「私」という問題。しかしそこには、大きな見落としがあったのではないか?産まれる、子をはらむ、産む、死んでいく、だけど誰かが残る。こうしたことを、それ自身として真正面からとらえる。そのための哲学が、ここからはじまる。(講談社選書メチエ)
目次
第1章 私と身体をめぐる伝統的議論<br/>第2章 生命としての私へ<br/>第3章 西田幾多郎の他者論と生殖論<br/>第4章 レヴィナスの他者論と生殖論<br/>第5章 私であることと「いのち」の遺伝<br/>第6章 子供とは誰のことか―「自分の子供」概念の脱構築
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
サワ
19
「私の子供」という、一見ありふれた関係を説明するようこの言葉は、よく考えてみると「自分自身=子供」であった時期があり、そこから「私=子供」という関係が成立します。子供というのはれっきとした他人ということ。「私」にとって子供とは、身体を与えただけの存在であり、精神すなわち「私」の基を産んだに過ぎないということ。 …生殖って、本来は歴史や社会的意味合いをものなんでしょうか。一つだけ納得いったのは「生殖可能がゆえに人間は死ぬ」ということです。死が必ず訪れるって、ある意味幸福なことですね。2022/01/23
gecko
10
子供とは何かを問う「妊娠」の哲学。私が他者から「産まれたもの」である以上、人間とは(ある特定の身体の選択や能否の問題は措いて)その身体を通じて他者を「産むもの」といえるのではないか。子供を産むということは、「私に属する何か」を後世につなげることなどではなく、有限的な時間のなかで産まれ、死んでいくしかない身体的な自己である私が「私が生きることのありえない未来」に(未来が「ある」ことへの賭けのようなものとして)ただ「生きていることそのもの」を伝えることではないかとする。血縁を越えた「いのち」の分有がテーマ。2022/01/14
柳田
8
阪大に入るまえにみたがわからなかった。ぼちぼち見返してみる。2018/08/27
hakootoko
6
私をいのちにとかす。2018/09/25
ポカホンタス
4
生命論、いまひとつぴんと来なかったが、この本を読んでみて、なんとなくだが、輪郭はつかめた気がした。内容的には、わかりやすそうで実はかなり難解な気がするが、直観的に、ピンとくるものがあった。これからは、こういう視点も心がけてみよう。2014/03/11
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